「言葉」の表現について書いてみる。フェイスブックに投稿したものを
少し広げて書くことにする。学問的見地ではない。経験的な主観である。
枝垂桜の「枝垂れ」を英語では、「weeping」と言う。
weepは涙を流すの意だ。
英米人には涙を流しているように感じるのだろうか。
The weeping cherry blossoms are at their best now.
(枝垂れ桜は、今が見頃だ)
桜も、いろいろである。ソメイヨシノが代表的な桜である
ことは言うまでもない。枝垂桜も美しいし、八重桜もきれいだ。
枝垂桜の英語の表現を紹介したが、八重桜の八重は、どう
いうのだろうかと思った。浮かんでこなかったので、調べて
みた。なんとdoubleである。日本語とは一致しない。
doubleに対する単語は、singleである。所謂2倍の意味しか
ない。英語から日本語にすると二重になってしまう。
日本語は、語彙が豊富である。八重とはなるほどとの
表現である。doubleでは日本語の持つ本来の意味を表すこと
はできない。二重桜では、意味がないし、趣きもない。
日本人の方が、感性(sensitivity)が鋭い。
比較言語の分野であろうが、専門的に勉強したわけではない
ので、軽々に言うことはできないが、英語を教えながら、感じ
てきたことだ。The Japanese are more sensitive people.
(日本人のほうが、感受性に優れている)
と言えると思う。
例えば、ノーベル賞受賞者のワンガリ・マータイ女史の
「もったいない」や東京オリンピック招致に貢献した
滝川クリステルの「おもてなし」の日本語表現がある。
英語では、wasteful や hospitality が相当するが、日本語の
もつ語感を表しきれないと思う。「無駄にしない」という
日本語と「もったいない」との日本語はイコールではない
と考える。言葉の持つ響きが違う故である。hospitality は
hospital(病院)と語源は同じである。この語源から、考え
ると、病院のあり方がわかる。日本語の「おもてなし」は
語源的には、患者に対するものではない。お客に対するものだ。
ここに、「言語の違い」は、「文化の違い」にあることがわかる。
もう少し例を挙げて考えてみる。私が最近使った、「共感」、
「共有」は、英語ではどう表現しているのか。「共感」は、
sympathy である。symmpathy は、fellow-feeling で「共感」
と一致する。「共有」を1語の英語で表わすことはできない。
share が最も近い単語であるが、
「Aを共有する」は、「have A in common」である。
「share A」も同意である。
名詞の「share」は、「分け前」が基本的な意味である。
故に、「共有」の名詞の表現は、英語にはない。
このような例は珍しくないが、
逆のことも言える。joy (喜び)を動詞にすると、enjoy(楽しむ)
になる。courage(勇気)を動詞にすると、encourage(励ます)
である。
最近、日本語で、「お茶する」「青春する」の言葉が
作られている。以前にはなかった言葉である。
最近の本に、「日本の大和言葉を美しく話す」がある。
日本には漢語と外来語、そして生粋の日本語「大和言葉」
大きくわけてこの三つがあります。
日本語は外国語の影響が大きいことも事実である。
今では、日本語が英語に入っている。sushi、 tenpura、 sukiyaki
などが代表である。言葉の異文化交流である。
少し広げて書くことにする。学問的見地ではない。経験的な主観である。
枝垂桜の「枝垂れ」を英語では、「weeping」と言う。
weepは涙を流すの意だ。
英米人には涙を流しているように感じるのだろうか。
The weeping cherry blossoms are at their best now.
(枝垂れ桜は、今が見頃だ)
桜も、いろいろである。ソメイヨシノが代表的な桜である
ことは言うまでもない。枝垂桜も美しいし、八重桜もきれいだ。
枝垂桜の英語の表現を紹介したが、八重桜の八重は、どう
いうのだろうかと思った。浮かんでこなかったので、調べて
みた。なんとdoubleである。日本語とは一致しない。
doubleに対する単語は、singleである。所謂2倍の意味しか
ない。英語から日本語にすると二重になってしまう。
日本語は、語彙が豊富である。八重とはなるほどとの
表現である。doubleでは日本語の持つ本来の意味を表すこと
はできない。二重桜では、意味がないし、趣きもない。
日本人の方が、感性(sensitivity)が鋭い。
比較言語の分野であろうが、専門的に勉強したわけではない
ので、軽々に言うことはできないが、英語を教えながら、感じ
てきたことだ。The Japanese are more sensitive people.
(日本人のほうが、感受性に優れている)
と言えると思う。
例えば、ノーベル賞受賞者のワンガリ・マータイ女史の
「もったいない」や東京オリンピック招致に貢献した
滝川クリステルの「おもてなし」の日本語表現がある。
英語では、wasteful や hospitality が相当するが、日本語の
もつ語感を表しきれないと思う。「無駄にしない」という
日本語と「もったいない」との日本語はイコールではない
と考える。言葉の持つ響きが違う故である。hospitality は
hospital(病院)と語源は同じである。この語源から、考え
ると、病院のあり方がわかる。日本語の「おもてなし」は
語源的には、患者に対するものではない。お客に対するものだ。
ここに、「言語の違い」は、「文化の違い」にあることがわかる。
もう少し例を挙げて考えてみる。私が最近使った、「共感」、
「共有」は、英語ではどう表現しているのか。「共感」は、
sympathy である。symmpathy は、fellow-feeling で「共感」
と一致する。「共有」を1語の英語で表わすことはできない。
share が最も近い単語であるが、
「Aを共有する」は、「have A in common」である。
「share A」も同意である。
名詞の「share」は、「分け前」が基本的な意味である。
故に、「共有」の名詞の表現は、英語にはない。
このような例は珍しくないが、
逆のことも言える。joy (喜び)を動詞にすると、enjoy(楽しむ)
になる。courage(勇気)を動詞にすると、encourage(励ます)
である。
最近、日本語で、「お茶する」「青春する」の言葉が
作られている。以前にはなかった言葉である。
最近の本に、「日本の大和言葉を美しく話す」がある。
日本には漢語と外来語、そして生粋の日本語「大和言葉」
大きくわけてこの三つがあります。
日本語は外国語の影響が大きいことも事実である。
今では、日本語が英語に入っている。sushi、 tenpura、 sukiyaki
などが代表である。言葉の異文化交流である。