昨日、F君から電話があり、私の家で会った。3月に2度会っている。

彼のことは、「友はありがたい」とのブログに書いている。

彼が言うのは、雑談する相手がいなくなっているということだ。

定年になり、再任用教員から非常勤講師になった、

人間関係が無くなってくるし、必要とされることも無くなってくる。

彼の言っていることはよくわかる。

気楽に本音で話せる相手はなかなかいるものではないが、

仕事上での付き合いも無くなってくることは事実だ。

彼も言っているが、妻に先立たれたらどうなるのだろうかと

心配していた。私もまったく同じである。

私も退職して3年が経つ。その生活にやっと慣れてきた。

私は、環境適応がうまくないので、慣れるのに時間がかかる。

年齢を重ねると、更にこの傾向が強まる。

私も、F君も社交的なタイプではない。人間的には、信頼できる

優秀な人物である。

 彼は大阪大学の出身だ。今日初めて、「なんで阪大に行ったの?」

と聞いた。彼は、「友達に、いずれ京大よりも阪大のほうが上になるよ」

との言葉を聞いたそうだ。その友達は、大阪府立医大に進学したそうだ。

その後当然医師の道を歩いたわけだ。F君は先生から{京大の農学部

なら合格圏内だ」と言われたそうだ。何か物足りなく感じたそうだ。

それで阪大の理学部を選んだようだ。難易度が高いが故に。


勉強ができるが故に選択を間違えたのかもしれない。

私の場合は、「私の人生の記憶」(高校時代)に書いたが、選択の

余地は全くなかった。一つしかなかったのだ。

 この時代の受験模様は、東大、京大を東西の頂点に、国立1期校、

国立2期校、公立大学が、上位にいたのだ。早稲田、慶応にしても、

滑り止めになっていたくらいだ。今の時代では考えられないことである。

簡単に言うと、5教科に平均的に優れているか、3教科に絞っての成績が

良いかで、国公立か私学かの選択になる時代だったのだ。

家の経済力が大きいことは言うまでもない。

 私の親友の一人は、早稲田の商学部をけっているし、その友人は慶応の

商学部をけっている。そして横浜市大の商学部に入学してきた。

横浜市大の商学部に入った学生の第一志望は一橋大学である。第二志望は

横浜国大の経済学部である。そのはざまで受験できるのが、横浜市大であった。

私大はその次であった。時代とともに、受験状況が変わり、難易度も変わって

いく。

 私の入った文科は、東大、京大志望が多数を占めていた。東京外国語大学

の受験者も多かった。私のように、横浜市大が第一志望で、他の大学を受けて

いない学生は皆無だったと思う。
  
 話しはそれてしまった。F君が物理で、採用試験を受けたことを初めて知った。

てっきり、生物か化学だとずっと思っていた。

 理科と社会の教員は、大学時代の専攻と必ずしも一致しているわけではない

ことは知っていたが、実に意外であった。

 私にしても、教員になる気がまったくなかった人間である。教員を目指そうと

考えた時点で、英語を選ぶか、社会を選ぶかの選択をしなければならなかった。

専門以外の英語を選んだのだ。私は、社会科学系のタイプで、文学のタイプではない。

英語の教員の大部分は英文科の出身である。英語という科目が好きで、多少勉強が

できただけであり、何の才能も、能力もなかったことが事実である。

それ故に、「試行錯誤の連続」の人生だった。

 F君の一番好きなのは、生物で化学は好きではなかったと言っていた。物理で教員に

なり、化学の教員になったとのことだった。皮肉なものだ。苦手な科目を本職にした例は

あるが、それほど多くはない。彼は、京大の農学部に入って、アリの研究でもしていれば、

別の人生になったかもしれないと言っていた。

 前置きが長すぎたようだ。これが私の悪い癖なのだが。

 教師の喜びは、生徒との「共感」が最大である。「共有」も大きな要素である。

共感」や共有」は教育の世界に限ったことではない。人間関係全般にわたることでも

ある。教員の最も大切なことは、生徒との人間関係にあると言うことだ。

これがうまくいかなくて悩み、「うつ病」になる教員がかなりいるようだ。

教員は、好きな教科を教えていればすむと思って、この世界に入ってきた真面目な人が、

「うつ秒」になっているのが事実だ。

 私の教員人生を振り返って、一番大切なことは、教科ではなく、生徒との人間関係である。

その人間関係ををつなぐ基盤が、教科なのだ。教科の信頼なくして、人間関係は築けない。

私の結論を言うと、最後は人間としての「信頼」関係に尽きる。

 教師も生徒も波長が合った時に、最大の結果が伴うもので、同一の条件ということはあり

得ないことである。お互いに人間であるが故に。感情もあれば、体調もある。ベストな状態で

授業ができること自体が、奇跡なのだ。

 F君と私が一致した喜びとは、生徒との「共感」である。これが感じらえた時が、教師としての

至福の喜びである。私が「天職」と感じたのが、平成15年度(2003年4月)から平成19年度

(2007年3月)の5年間である。皮肉なことに、2003年に副鼻腔炎を発症して、2007年

10月に手術入院したのである。したがって、体調面では非常に苦しかったが、精神的には、充実

してとても楽しい時間だったことは事実である。このことは「私の人生の記憶(御殿場南高校の頃)

で書いた。最後の3年間の生徒は、私のことを「相ちゃん」と呼んでいたくらいだ。親しみを込めて

そう呼んでいたのがわかっているので、そのことに対して何も言わずに容認していた。

私の42年間の教員生活で「相ちゃん」と呼ばれたのは、その3年間だけである。しかし、

この言葉に象徴されている。教員としての最後の思い出となったのだ。

 F君は定時制のあと、トップの進学校を歩いた。私とは別の道である。それぞれの道のことは、お互いに

実感としてはわからない。共通しているのは、「生徒の反応」に落ち込んだり、喜んだりしたことである。

この点に関しては、完全に一致している、教員とは、そういうものだ。生徒次第である。生徒も教員

次第である。教師と生徒は相互関係で結びついているのである。いい関係とは「信頼関係」である。

このことだけは、断言できる。だが、このことを実感できるようになるまでは、それなりの苦労が伴う。

苦労なくして喜びはない」と言える。

 最後に日本の教育の問題点を書く。一言で言うと、「受験教育」の弊害である。このことに、

長い間、政治家、文科省の官僚、教育関係者、世間一般の評価が間違がっていたことにきづか

ないできてしまったか、気づいていても、現実的対応に流されていたということに尽きる。

いまだにわかっていない人が多いのである。

 国際社会の中で、教育も競争の渦に巻き込まれている。今までのような、知識偏重の偏った

考え方では、通用しない時代になっている。世界へ発信できる創造的な人材が求められている。

いまの入試制度では、はっきり言って、無理なことだとしっかり認識して、システムを変えなければ

ならない。とともに、ソフト面で言うと、私たちの旧来の価値観を変えなければならない。

受験に関係なく、基礎・基本の知識は身につけなければならない。その教育に力をいれる

べきなのは、高等学校までである。小学校から高等学校まで全体を見据えて、指導要領を考えて

作成すべきであると思う。高校までは義務教育にすべきだと私は思う。

受験教育はやめるべきである。受験のための知識など役にはたたないのだから。

知識偏重のことを問題にしたが、「知識は大事である。」受験のための知識が無用だと言っている。

誤解しないでほしい。受験に必要か必要でないかとの意識があまりにも強いのである。

 F君は今でもトップ進学校の講師をしている。化学を教えているようだが、教える内容が受験に

必要か必要でないのかを生徒が尋ねると言う。化学の持つ面白さを教えることができないのがつまらないと。

これがまともな教員の本音である。

 教員の使命は、「触発」にある。私の場合は「わかりやすい授業」を目指した。私の専門は何かと

問われれば、英語ではない。「いかに教えるか」が専門だと答え

たい。英語はその手段にすぎない。

英語の教育環境は大きく変化している。最大の問題は教師にあると、私は考えている。

 小学校から英語を導入することには賛成であるが、教員の養成が追いついていないのが最大の

問題である。

 私の経験から言うと、教師が楽しむことができなくて、子どもや、生徒が楽しみを感じるはず

がない
のである。子どもや生徒は楽しいと思えば、いくらでも成長するのである。「学ぶ楽しさ

を教えることができれば、あとは、基礎・基本を教えてあげればいいのだ。

このポイントを外せば、教育はないと言える。「子どものため」「生徒のため」に努力することが、

やがては教師の「喜び」になるのである。「情けは人の為ならず」の格言に習って言うならば、

子どもや生徒のための愛情は、教師の為ならず」となる。