人生を階段に譬えるとどうなるだろうか。
私の人生はどこへ向かう階段であるのか。
誰もが望むのが「幸福への階段」であり、「平和への階段」であろう。
階段を上がっていくと、「幸福と平和」があると信じたい。
それは、祈りであり、願いであり、理想である。
所謂、個人と社会との関係になる。
人は、「一人では生きていくことはできない。」
平和な社会の中で、個人の幸福があるとも言える。
戦争が私たちに教えてくれたことである。
戦争の中に、個人の幸福はない。
平和の中にこそ、個人の幸福はあるのだ。
歴史から学ぶ意味は、ここにあるのではないか。
私たちは、この原理を忘れているのではないか。
国際社会は、軍事力のバランスによる平和を志向している。
パワーバランスは冷戦の時と変わってはいない。
平和を破壊する紛争が絶えない。
テロの脅威が世界を覆っている。
だが、軍事力による平和はない。
日本は、自衛隊の活動範囲を拡大し、日米同盟を強化しようとしている。
積極的平和主義の名の下に。
私は、それは違うと思っている。
隣国である韓国および中国との関係改善が急務である。
平和の基本軸は、外交であり、人の交流であり、人との対話である。
非暴力の思想を掲げ、異文化交流、人間としての教育ではないだろうか。
グローバル化した世界では、地球規模で問題を考え、解決する努力
をしなければならない。
このような時代にあって、個人は何ができるのか、日本人として
何ができるのかを発信する必要が出てきていると私は考える。
日本人としての国際社会への平和貢献こそ、積極的な平和主義なのではないか。
被爆国日本だからこそ、核廃絶へ向けて世界のリーダーシップを担う日本を
目指すべきではないだろうか。
人材を育てることだ。教育の使命がここにある。
立正安国論に「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」とある。
「個人の幸福と社会の平和」との関係を端的に表した言葉である。
さて、個人の幸福とは何だろう。
人それぞれ、「十人十色」でいいのではないか。
キーワードは、「喜び」だと、私は思っている。
苦しんだ分だけ、喜びがあると信じたい。
「人生、苦あれば楽あり」である。
苦があるからこそ、喜びがあると感じている。
「苦即喜び」が仏の悟りなのではないか。
長い間、苦しんできた私の実感である。
一年を一つの階段として、67段上ってきたことになる。
階段の幅はそれぞれ違う。「違い」こそ、意味がある。
人の歩む階段は、平坦ではない。でこぼこの階段だ。
途中で、立ち止まったり、休んだり、落ちそうになったりする。
頑張って、踏ん張ったりする。
上りたくても上れないこともある。
若い頃は、ひたすら上がろうとする。順調に上がれることもある。
一歩一歩が人生の階段だ。
自分の階段が何段あるのか誰にもわからない。
60歳を越えると、自分が上がってきた階段を振り返りたくなる。
随分上がってきたのか、それほど上がってきていなのかわからない。
しかし、上がってきた階段を振り返ると懐かしい。
私は、その足跡をブログに書いた。自分史である。
私は、自分の足跡を肯定したいのだ。
自分らしく上がって来たのだ。一生懸命に。
これからも上がり続けなければならない。
これからは、楽しんで階段を上がっていきたい。
少しでも、人のため、社会のためになれれば嬉しい。
その想いで、これからの「人生の階段」を上がっていきたい。
私の人生はどこへ向かう階段であるのか。
誰もが望むのが「幸福への階段」であり、「平和への階段」であろう。
階段を上がっていくと、「幸福と平和」があると信じたい。
それは、祈りであり、願いであり、理想である。
所謂、個人と社会との関係になる。
人は、「一人では生きていくことはできない。」
平和な社会の中で、個人の幸福があるとも言える。
戦争が私たちに教えてくれたことである。
戦争の中に、個人の幸福はない。
平和の中にこそ、個人の幸福はあるのだ。
歴史から学ぶ意味は、ここにあるのではないか。
私たちは、この原理を忘れているのではないか。
国際社会は、軍事力のバランスによる平和を志向している。
パワーバランスは冷戦の時と変わってはいない。
平和を破壊する紛争が絶えない。
テロの脅威が世界を覆っている。
だが、軍事力による平和はない。
日本は、自衛隊の活動範囲を拡大し、日米同盟を強化しようとしている。
積極的平和主義の名の下に。
私は、それは違うと思っている。
隣国である韓国および中国との関係改善が急務である。
平和の基本軸は、外交であり、人の交流であり、人との対話である。
非暴力の思想を掲げ、異文化交流、人間としての教育ではないだろうか。
グローバル化した世界では、地球規模で問題を考え、解決する努力
をしなければならない。
このような時代にあって、個人は何ができるのか、日本人として
何ができるのかを発信する必要が出てきていると私は考える。
日本人としての国際社会への平和貢献こそ、積極的な平和主義なのではないか。
被爆国日本だからこそ、核廃絶へ向けて世界のリーダーシップを担う日本を
目指すべきではないだろうか。
人材を育てることだ。教育の使命がここにある。
立正安国論に「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」とある。
「個人の幸福と社会の平和」との関係を端的に表した言葉である。
さて、個人の幸福とは何だろう。
人それぞれ、「十人十色」でいいのではないか。
キーワードは、「喜び」だと、私は思っている。
苦しんだ分だけ、喜びがあると信じたい。
「人生、苦あれば楽あり」である。
苦があるからこそ、喜びがあると感じている。
「苦即喜び」が仏の悟りなのではないか。
長い間、苦しんできた私の実感である。
一年を一つの階段として、67段上ってきたことになる。
階段の幅はそれぞれ違う。「違い」こそ、意味がある。
人の歩む階段は、平坦ではない。でこぼこの階段だ。
途中で、立ち止まったり、休んだり、落ちそうになったりする。
頑張って、踏ん張ったりする。
上りたくても上れないこともある。
若い頃は、ひたすら上がろうとする。順調に上がれることもある。
一歩一歩が人生の階段だ。
自分の階段が何段あるのか誰にもわからない。
60歳を越えると、自分が上がってきた階段を振り返りたくなる。
随分上がってきたのか、それほど上がってきていなのかわからない。
しかし、上がってきた階段を振り返ると懐かしい。
私は、その足跡をブログに書いた。自分史である。
私は、自分の足跡を肯定したいのだ。
自分らしく上がって来たのだ。一生懸命に。
これからも上がり続けなければならない。
これからは、楽しんで階段を上がっていきたい。
少しでも、人のため、社会のためになれれば嬉しい。
その想いで、これからの「人生の階段」を上がっていきたい。