「六遊会」(りくゆうかい)と読む。国語の教員の命名である。
25年前の平成2年に、麻雀仲間6人で発足した。三島南高校に在職
していた同僚である。文字通り6人で遊ぶ会で、年度末に宿泊して、
麻雀をする会である。最初の数年は、小旅行を兼ねていたが、韮山
の宿「一句石」に固定したのが、20年前との記憶である。
最初に提案したのは、私だが、第1回は、欠席することになって
しまった。父親の様態が悪化したためだ。
提案の理由は、私が転勤する可能性があったからだ。結果的には、
転勤はなくなったが、3月の末に父親が他界した。
第1回の企画は、「田子の天狗寿司」(現在はない)で寿司を食べて、
雲見に泊まって麻雀をするということだった。
それ以来3~4年前まで続いたが、再開することはない。
メンバーは、10歳年上の3人は、商業の教員が2人、体育の教員、
5歳年上の国語の教員、9歳年下の社会の教員と私である。
幹事役は社会の教員であった。
残念だが、昨年体育の教員のMさんが他界した。私を含めて、
高齢化している。現役で仕事をしているのは、社会のY君だけだ。
彼は、テニスの顧問をしているので、休みがほとんどない。
あと3年で定年を迎える。その時までは、この会を続ける予定だった。
このメンバーで、日常的に麻雀をする場所を提供してくれたのは、
商業のTさんのお宅である。奥様には長年の間お世話になりました。
過去形で表現するのは、昨年、Tさんが倒れて入院したことを、あとから
知った。8月の夏休みに、4人で麻雀をする予定になっていて、幹事役の
Y君が連絡を取ってわかったことだ。医者からドクターストップがかかった
とのことだった。そのために、もう麻雀をする機会がなくなった。
Tさんは、もう一度、「一句石」で泊まりたいと言っていた。
この数年は、私の体調が良くないために中断していた。この六遊会も
自然消滅になってしまた。1人が亡くなり、商業のHさんとは、年賀状
のやりとりだけで、何年も会っていない。元気で歩いているとのコメント
で近況を知るだけだ。
先日、国語のTさんから連絡があり、久しぶりに会おうとの話しになり、
Y君の都合に合わせて、簡単に昼食を食べて、Tさんのお見舞いに行こうと
の話しがまとまった。明日の正午に、沼津の北口で会うことになった。
何をお見舞いに持って行こうかと悩むが、奥様へのお礼の品物にしたら
どうかと提案するつもりでいる。ブリザードではどうだろうかと思っている。
30年来お世話になっているからだ。Tさんの長男を、国語のTさんと私が
担任をした過去の経緯もある。Tさんと長男が同じ学校であったために、
長男(Y)は、職員室には来なかった。三者面談も親抜きでやったことを覚えて
いる。その頃、お宅にお邪魔して、麻雀をしていたのだ。家で顔を合わせる
ことが何回もあった。彼は、挨拶だけしていた。私の長男と同じ年齢だと記憶
しているので、41歳のはずだ。
Tさんとの付き合いも非常に長い。Tさんのお宅で、何にもの教員に出会って
いる。そのお宅は、雀荘になっていて、何十人もの人がお世話になった。
奥様の理解がなかったらできなかったことである。Tさんの最大の趣味が、
麻雀だったのである。そのことを奥様が理解して受け入れてくださっていた。
本当にありがたいと思っている。
Tさんも一番好きな麻雀をストップさせられたので、辛いだろうと推察
している。同時に私も麻雀をする機会がなくなったのだ。
「私の人生の記憶」に書いてあるが、麻雀は私にとって、人間関係の
潤滑油であった。様々な思い出のページがある。
25年前の平成2年に、麻雀仲間6人で発足した。三島南高校に在職
していた同僚である。文字通り6人で遊ぶ会で、年度末に宿泊して、
麻雀をする会である。最初の数年は、小旅行を兼ねていたが、韮山
の宿「一句石」に固定したのが、20年前との記憶である。
最初に提案したのは、私だが、第1回は、欠席することになって
しまった。父親の様態が悪化したためだ。
提案の理由は、私が転勤する可能性があったからだ。結果的には、
転勤はなくなったが、3月の末に父親が他界した。
第1回の企画は、「田子の天狗寿司」(現在はない)で寿司を食べて、
雲見に泊まって麻雀をするということだった。
それ以来3~4年前まで続いたが、再開することはない。
メンバーは、10歳年上の3人は、商業の教員が2人、体育の教員、
5歳年上の国語の教員、9歳年下の社会の教員と私である。
幹事役は社会の教員であった。
残念だが、昨年体育の教員のMさんが他界した。私を含めて、
高齢化している。現役で仕事をしているのは、社会のY君だけだ。
彼は、テニスの顧問をしているので、休みがほとんどない。
あと3年で定年を迎える。その時までは、この会を続ける予定だった。
このメンバーで、日常的に麻雀をする場所を提供してくれたのは、
商業のTさんのお宅である。奥様には長年の間お世話になりました。
過去形で表現するのは、昨年、Tさんが倒れて入院したことを、あとから
知った。8月の夏休みに、4人で麻雀をする予定になっていて、幹事役の
Y君が連絡を取ってわかったことだ。医者からドクターストップがかかった
とのことだった。そのために、もう麻雀をする機会がなくなった。
Tさんは、もう一度、「一句石」で泊まりたいと言っていた。
この数年は、私の体調が良くないために中断していた。この六遊会も
自然消滅になってしまた。1人が亡くなり、商業のHさんとは、年賀状
のやりとりだけで、何年も会っていない。元気で歩いているとのコメント
で近況を知るだけだ。
先日、国語のTさんから連絡があり、久しぶりに会おうとの話しになり、
Y君の都合に合わせて、簡単に昼食を食べて、Tさんのお見舞いに行こうと
の話しがまとまった。明日の正午に、沼津の北口で会うことになった。
何をお見舞いに持って行こうかと悩むが、奥様へのお礼の品物にしたら
どうかと提案するつもりでいる。ブリザードではどうだろうかと思っている。
30年来お世話になっているからだ。Tさんの長男を、国語のTさんと私が
担任をした過去の経緯もある。Tさんと長男が同じ学校であったために、
長男(Y)は、職員室には来なかった。三者面談も親抜きでやったことを覚えて
いる。その頃、お宅にお邪魔して、麻雀をしていたのだ。家で顔を合わせる
ことが何回もあった。彼は、挨拶だけしていた。私の長男と同じ年齢だと記憶
しているので、41歳のはずだ。
Tさんとの付き合いも非常に長い。Tさんのお宅で、何にもの教員に出会って
いる。そのお宅は、雀荘になっていて、何十人もの人がお世話になった。
奥様の理解がなかったらできなかったことである。Tさんの最大の趣味が、
麻雀だったのである。そのことを奥様が理解して受け入れてくださっていた。
本当にありがたいと思っている。
Tさんも一番好きな麻雀をストップさせられたので、辛いだろうと推察
している。同時に私も麻雀をする機会がなくなったのだ。
「私の人生の記憶」に書いてあるが、麻雀は私にとって、人間関係の
潤滑油であった。様々な思い出のページがある。