毎日新聞、23日付「学習評価・もがき悩む先生」の記事を読んだ。
評価は、教育の根幹に関わる重要な問題であり、その認識は共有されるであろう。
評価は、生徒の学習へのモチベーションに大きな影響を与える。また、教師にとって、
授業の自己評価及び反省となる。
評価は、客観性を求められ、数値化された点数評価になっている。その評価のもとになる教科のテストの作成の方法(マークシート的か記述的)及び内容が、常に問われている。
私も現役の頃は、テスト問題の作成に頭を悩ました。教えたことに対する生徒の理解度、定着度を知る機会になるのが定期テストで、評価の主要素になっている。
教員生活の中で、数多くの試験問題を作ったが、失敗し反省した経験も多くしている。
初任校、転任校を含む5校での経験である。校種や生徒の質の違いにより、授業の内容や教え方が異なってくる。したがって、試験の作り方や、内容が異なるのは当然である。
そのためには、生徒の学力を把握しなければならない。それができるまでにはそれなりの時間を必要とする。試行錯誤しながら、教材研究を続けなければならない。
学力の把握ができるようになれば、適切な問題を作れるようになる。教員には経験が必要なことは言うまでもないだろう。私の好きな言葉に、「経験は良い教師である」がある。Experience is a good teacher.の英語に由来する言葉である。
私は、定期試験の平均点の目安をほぼ60点にしてきた。進学校での実力試験は50点に設定していた。応用問題を含むだけに、平均点が下がることを前提にしていたからだ。
試験は生徒にとって、達成感とさらなる挑戦への気持ちを感じることが大切だと私は考えていた。評価は、生徒だけでなく教師にも必要である。
高校では、教科の専門性が強く、学校の教務内規にも幅がある。私は、絶対評価から相対評価へ、相対評価から絶対評価への変化を経験している。共通一次試験、大学入試センター試験、様々な形態の推薦入試など、入試制度の変化による要因が高いのが現実で、生徒の教育への視点からの変更だったとは、私は認識していない。
絶対評価にしても、相対評価の前後では異なっているのである。現在行われている評価は、相対的絶対評価との表現の方が適切だと思っている。
肝心なことは、授業の内容であり、生徒の学力向上が「目的」とされなければならない。
教育の目的は、学力の向上だけではない。人を育てることにある。英語で、教育は「education」で、「educate」は、能力を導き出すが原義である。
日本の教育は、知識偏重主義に陥り、人間の能力の開発の視点が欠けていたと考えるのが私の教育観である。知識偏重主義は点数至上主義を生みだしてきたのだ。
これからの教育は、人間の持つ多様な能力に視点を当てるともに、受験のための学力ではなく、本当の学力の向上へと教育の転換が求められると私は考える。
評価は、教育の「手段」である。2018年度から「道徳」が教科になる。道徳を教科にすることには議論があるが、教科になる以上評価を伴うのは当然だと考える。記述式には主観的特質があるが、テストによる点数化をしてはならない。
一つの案として、記述の内容を教員間で話し合ってマニュアル化したらどうかと提案したい。そのマニュアルも固定化するのではなく、時間をかけて、柔軟に変えていく姿勢が大事だと思うが。
評価は、教育の根幹に関わる重要な問題であり、その認識は共有されるであろう。
評価は、生徒の学習へのモチベーションに大きな影響を与える。また、教師にとって、
授業の自己評価及び反省となる。
評価は、客観性を求められ、数値化された点数評価になっている。その評価のもとになる教科のテストの作成の方法(マークシート的か記述的)及び内容が、常に問われている。
私も現役の頃は、テスト問題の作成に頭を悩ました。教えたことに対する生徒の理解度、定着度を知る機会になるのが定期テストで、評価の主要素になっている。
教員生活の中で、数多くの試験問題を作ったが、失敗し反省した経験も多くしている。
初任校、転任校を含む5校での経験である。校種や生徒の質の違いにより、授業の内容や教え方が異なってくる。したがって、試験の作り方や、内容が異なるのは当然である。
そのためには、生徒の学力を把握しなければならない。それができるまでにはそれなりの時間を必要とする。試行錯誤しながら、教材研究を続けなければならない。
学力の把握ができるようになれば、適切な問題を作れるようになる。教員には経験が必要なことは言うまでもないだろう。私の好きな言葉に、「経験は良い教師である」がある。Experience is a good teacher.の英語に由来する言葉である。
私は、定期試験の平均点の目安をほぼ60点にしてきた。進学校での実力試験は50点に設定していた。応用問題を含むだけに、平均点が下がることを前提にしていたからだ。
試験は生徒にとって、達成感とさらなる挑戦への気持ちを感じることが大切だと私は考えていた。評価は、生徒だけでなく教師にも必要である。
高校では、教科の専門性が強く、学校の教務内規にも幅がある。私は、絶対評価から相対評価へ、相対評価から絶対評価への変化を経験している。共通一次試験、大学入試センター試験、様々な形態の推薦入試など、入試制度の変化による要因が高いのが現実で、生徒の教育への視点からの変更だったとは、私は認識していない。
絶対評価にしても、相対評価の前後では異なっているのである。現在行われている評価は、相対的絶対評価との表現の方が適切だと思っている。
肝心なことは、授業の内容であり、生徒の学力向上が「目的」とされなければならない。
教育の目的は、学力の向上だけではない。人を育てることにある。英語で、教育は「education」で、「educate」は、能力を導き出すが原義である。
日本の教育は、知識偏重主義に陥り、人間の能力の開発の視点が欠けていたと考えるのが私の教育観である。知識偏重主義は点数至上主義を生みだしてきたのだ。
これからの教育は、人間の持つ多様な能力に視点を当てるともに、受験のための学力ではなく、本当の学力の向上へと教育の転換が求められると私は考える。
評価は、教育の「手段」である。2018年度から「道徳」が教科になる。道徳を教科にすることには議論があるが、教科になる以上評価を伴うのは当然だと考える。記述式には主観的特質があるが、テストによる点数化をしてはならない。
一つの案として、記述の内容を教員間で話し合ってマニュアル化したらどうかと提案したい。そのマニュアルも固定化するのではなく、時間をかけて、柔軟に変えていく姿勢が大事だと思うが。