私は、日本人の移民に対する知識がない。作家の山崎洋子さん「Legend of Yokohama」の文で、横浜の関内あたりに、海外移民のための移民宿があったことを初めて知ったくらいだ。

「バンクーバーの朝日」という映画を見て、日本人移民の一端を垣間見ることができた。
主演は妻夫木聡で、 監督は石井裕也 である。戦前のカナダに実在した日系人野球チーム「バンクーバー朝日軍」の実話を映画化した作品だ。

 カナダに移住した日本人が、日本人街というコミュニティーを形成し、それは簡易宿泊所街のような一画だったようだ。カナダ人の半分の賃金で過酷な労働を強いられた。日本人2世が、1941年に「ASAHI」を結成し、カナダリーグに参加して活躍した物語である。日本では、1936年に現在の日本プロ野球の前身である日本職業野球連盟が設立されている。

「ASAHI」は、労働をしている人たちが作る野球チームである。日本的に言えば、社会人野球のようなチームであるが、その環境は比べることはできない。失職したために、チームの主力が去るような状況で野球を続けているくらいで、リーグでは1点も取れないで敗れる試合の連続であった。それでも日本人街に住む日本人が応援し続けている。野球が日本人にとっての唯一つの楽しみだったのだろう。

 私のような第二次世界大戦直後に生まれた団塊の世代にとって、子どもの頃の娯楽は映画であり、スポーツは相撲と野球であった。現在のような多様な娯楽やスポーツはなかった時代である。

「ASAHI」は白人のカナダチームには全くかなわない状況が続いていた。
ある年、キャプテンに就いたレジー笠原(主役・妻夫木聡)は、体力的なパワーの差を埋める方法を考えついた。それがセーフティバントで、さらに盗塁を組合せて念願の得点を取ることに成功した。ヒットがゼロで得点できたのである。セーフティバントと盗塁の戦法と固い守備で、カナダ人チームに勝てるようになったのである。「頭脳野球」と呼ばれ、「フェアプレーの精神」でひたむきに戦い抜く姿は、日系移民たちに勇気や希望をもたらし、白人社会からも賞賛と人気を勝ち取って行った。ついに、シーズン最終戦に優勝を決める大一番を戦うまでになり、最終回逆転で優勝したのである。

 シーズン最終戦で、私の記憶に残るのは10.8決戦で、1994年10月8日に日本のナゴヤ球場で行われた日本プロ野球セリーグ中日VS巨人第26回戦の最終戦である。シーズン130試合制の時代で、69勝60敗の同率決戦での対戦になり、勝者が優勝の試合である。結果は6対3で巨人の優勝が決まった。巨人は第2次長嶋茂雄監督の時代で、原辰徳監督は現役の選手であった。

 この映画は、日本人移民に対する「侮辱」と「差別」がよく描かれている。また、野球(スポーツ)の持つインターナショナルな力を感じた。特に、「差別」の問題は考えさせられた。日本人も朝鮮人に対して行ってきた歴史と重なる。戦争は、人命だけではなく、人が築き上げた信頼という財産まで奪ってしまうことを痛感させられる映画であった。

 日本の真珠湾攻撃による太平洋戦争の開始(1941年)により、日系移民は「敵性国民」として収容されることになってしまう。彼らが収容所から出たのは終戦後5年後、どれほど多くの日系移民の人たちが苦しめられたか、忘れてはならない歴史的事実である。
「ASAHI」は1941年に、27年間の野球の歴史を閉じる。「バンクーバー朝日」の野球チームが戦前の貢献で名誉が回復されるには、60年の歳月を経る。
2003年に、カナダ野球殿堂入りが果たされたことによって救われたと言える。
一言で、いい映画だった。