最近、ネット碁で対局中の精神状態が、安定してきているように感じている。感情的にむきになるようなことが、以前より少なくなっているということだ。

 囲碁は、ネット上には限らないが、人が行うゲームであるので、人間性が表れる。簡単に言うと、穏健タイプと過激タイプに別れると思う。戦った結果として、陣地の大きさで勝負が決まるゲームであるので、勝負にこだわり、勝ちたいとの「欲」が強く出てくることは、自然な感情である。

 プロ棋士は、勝負が生活に直結しているが、アマチュアは趣味の世界である。したがって、楽しむことが大切だと思うが、楽しみ方に違いが出てくる。

 アマチュア特有の「石を取る」ことに喜びを感じる人が多いのも事実である。
囲碁の言葉が表すように、初心者は、石の取り方を学ぶのである。石の取り方は囲碁の基本である。そこから「石の死活」が出てくる。この「石の死活」がなかなか難しいのだが、打つことができない交点の2か所の有無が、「石の死活」の問題になる。一団の石が囲まれた時に、この2か所(2眼)がなければ、死を意味し、相手の陣地になるルールのゲームである。石を取れば勝てるという単純なゲームではないが、大石の死活は勝敗を左右することは確かである。

 囲碁は、最終的に1目でも多い方が勝つゲームであるが、少しでも多くの差をつけて勝ちたいと思うのが「人の欲」である。碁は相手にも陣地を与えるが、自分の陣地が勝ればいいのである。平和的な要素(妥協すること)も持っているが、戦いの要素(妥協しない)が強い。したがって、過激的な戦いを好む傾向が、アマチュアには特に強く出てくる傾向がある。無茶な打ち方は悪手とされるが、「無理が通れば道理が引っ込む」の格言の如く、対応を間違えると、悪手が好手になってしまう。悪手をとがめる力が棋力でもある。

 囲碁は、棋力の差がはっきりと出るゲームであるので、負けると敗北感を味わうことになる。人の感情がよく表れる要素を持っている。

 私の趣味に麻雀があるが、麻雀には「運」の要素があるので、たとえ負けても、「ついてなかった」と言うことができる。しかし、碁には「運」の要素がないために、敗北感が強いのである。

 ネット碁は、お互いの顔が見えないために、より過激的になる傾向が強いと感じている。碁は盤上での対話とも言えるが、戦いによる感情が湧き、冷静さを欠くのは私だけではないだろう。最近は、冷静に対応できるようになってきていると感じている。

 自然に感じる手を打つ気持ちが大切で、石にこだわらないことが、結果につながっている。私の碁は、先を読むことができないので、形と感覚で打っているだけであるが、石の強弱や場所の強弱を意識するようになってきた。戦い方が以前よりは少しわかってきたようだ。

 自分の弱い石を作らないこと。相手の弱い石を攻めること。この二つのことは基本であるが、感情的になると忘れがちなことでもある。自分の弱い石は捨てることと、相手の弱い石を攻めても取ろうとしないことを心がけるようになったように思う。そのために、冷静さが出てきて、勝率もよくなってきている。形勢判断ができるわけではないが、感覚的にその判断ができている時には、気持ちが安定し、冷静でいられるようだ。これで「形勢が悪くはない」との感覚である。その感覚と結果が一致していれば、自信になってくる。

 碁は、優勢であっても、一手のミスで逆転されるし、劣勢でも、一手で逆転できることを何度も経験している。ここに碁の難しさと面白さがあると思う。私は、碁を打つことを楽しみたい。