私の妻の母が亡くなった。24日の午前2時頃とのことであった。朝6時に同居の長男(義弟)からの電話で知った。私の体調のために、直ちに、妻(長女)が大船の実家に行き、横浜に住む私の次男が行くことになった。三人の姉妹と長男(三人の姉妹の弟)で、通夜及び葬儀の日程と段取りを決めたようだ。日程は次男からメールで連絡を受けた。28日に通夜、29日に告別式になることがわかった。28日に、妻と一緒に長男の車で大船へ行き、そこで次男と合流して通夜及び告別式の葬儀に参列した。

 故人の母の気持ちを組み、喪主の長男の意志で、親族だけの家族葬の形で葬儀が行われた。故人の享年は93歳である。天寿を全うした生涯であったと思う。

 親族による家族葬は、私の母が平成14年1月25日亡くなった(享年81歳)時に、私が決めた形であった。近年、家族葬が増えてきているように感じるが、私の居住地域では初めてのことで、組の人たちの参列も丁重にお断りした経緯がある。

 今回の葬儀もほとんど同じような形であった。私自身も一般的に行われている葬儀の意義を感じてはいない。実質的に深いつながりのある親族で、心から故人の追善供養を行い、一般的な社会形式にこだわらないということである。義理の弟である喪主の長男も同じように考えたようだ。長男は独身であるので、一人で義母の介護をしてきたのである。義母も頑張り、下の世話まではさせなかったと聞いた。頭も最後までしっかりしていたとのことだった。

 私が最後に義母に会ったのは、昨年の敬老の日で、横浜に立ち寄ってから大船に行った時であった。その時に話しをしたのが、私にとっての最後の会話になってしまった。私の体調が昨年の10月の終わり頃から悪化してしまい、その後会いに行く機会を持つことができなかったことをとても残念に思っている。

 私と義母との出合いは、妻との出合いとほぼ時期が重なっている。その出合いを一言で表せば、お互いの人としての好意と信頼である。それ以来44年を越えるが、この10年では、私の体調の良い時にしか会いに行くことができなかった。一番長い時間をかけて話しをできたのが、平成13年3月26日の91歳の誕生日の時である。この記憶は生涯忘れることはない。1日でも長く生きていてほしいとの思いでいたが、天寿にはどうすることもできない。人は必ず死を迎える。その時は誰にもわからない。それが人の存在であり、天命であると私は考えている。

 私は、今回初めて自分の死の葬儀のことを考えることになった。次男にはその基本的な考え方を話した。横にいて話しをする流れの中でのことである。自分の考えを整理して、機会を見つけて、二人の息子に話しておくと同時に、書面に残す必要を感じている。私のことは息子たちに託すのである。

 現在の私の基本的な考え方は、私のつながりの深い親友と親族だけで葬儀を行ってもらいたいということだ。私とのつながりのない人の参列は丁重に断ってほしいと思っている。
息子たちの仕事関係も含めての考えだ。私も退職しているので、私の仕事上の人間関係も同様であると伝えておきたいと思っている。