前回のブログで、囲碁の対局者心理について触れたが、更に踏み込んで考えてみる。囲碁は人間の感情と欲が表れるゲームという点では、プロもアマも変わりないと思うが、基本的な考え方が違うように思う。アマチュアは石に対する執着心が強い。石の強弱の判断をして打つ手を考えるよりも、自分の石は取られたくない気持ちと、相手の石を取りたい気持ちが強い心理として働いていることが特徴と言える。石の強弱は相対的なもので、状況の変化とともに変化していくために、判断が難しいと言える。1局の碁は、途中で放棄する中押しのゲームを除くと、普通250手前後となるために、その半分の125手前後は自分の判断が求められる。その判断をしながら打つことは、アマチュアにはできない。その判断力が棋力と言えるのだろうが、ほぼ同じ棋力の人が対局すると、大きな差がつかずに、囲碁の用語で言う「細かい碁」で終局することも多い。結果が半目差(0.5目)になることがある。このことは、プロの碁では珍しいことではないが、アマチュアの碁では偶然性の結果と言えるだろう。アマはこのような碁を望んではいないからである。序盤から戦いになり、相手の石を取ろうとの気持ちが強い。石を取ることによって有利な展開を期待し、相手を負かしたいとの心理が働いている。囲碁は石を取るゲームではないが、最初に覚えるのは、石を取ることであるために、その癖が身についてしまっているのかもしれない。石を取れば勝てるような単純なゲームではないが、本能的と言える程、相手の石を取りたがるし、自分の石は取られたくないのが、アマチュアの囲碁である。プロは戦いの中で、全局的な形勢判断とバランスを重視する考え方が基本である。一流のプロは、局面での最善の一手を追求し合っていく判断力の勝負である。どこかの局面で判断ミスが出ることが勝敗につながっているようだ。もちろん私のレベルでは理解が及ばないが、テレビの囲碁を観戦している。
結城聡九段は、「石の強弱は相対的なもので、自分の石が強くなれば相手の石が弱くなり、自分の石が弱くなれば相手の石が強くなる。序盤であれ中盤であれ、”強い石と弱い石、強い場所と弱い場所”を判断して打ち進めるのが鉄則になる」と著書に書いている。理論的には理解できるが、この鉄則に反して打っているのがアマの碁である。
ネット碁を打っていて感じるのは、棋理を考えるよりも感情と欲が強くでてきてしまう。
一局の碁を気持ちよく打てることはほとんどない。「苛立ち」や「怒り」の感情を避けることはできない。自分の石を取られると腹立たしくなる。原因が自分のミスにあると、自分に腹が立つし、相手の腕力によると、屈辱感を味わう。石を取られると冷静さを欠くことは確かである。部分的に石を取られても、全局的には劣勢であるとは限らないし、相手に自分の石を取らせることで優勢に立つこともよくあることだ。「石を取られる」と「石を取らせる」とでは、大きな違いがある。「石を取らせる」ことは囲碁のテクニックである。必要な石(要石)は取られてはならないが、不要な石(カス石)は取らせたほうがいいのである。この要石とカス石の判断力こそが大事なのだが、全ての石を取られたくないとの心理が働いているのがアマチュアである。相手の石は取りたいが自分の石は取られたくないのが本能的な感情である。人間のエゴである。交互に打つのがルールなので、自分だけが得するようなことはできないと考えるのが自然の理である。人間の欲とも言えるが、相手の石を取って差をつけて勝ちたいとの心理が働いてしまうのである。半目差でも勝てばいいとの考え方にならないのが、アマチュアの感情であり、対局心理であると思う。プロと違って考えるよりも感覚的に打つ傾向が強く、俗に言う「でたとこ勝負」になってしまう。ネット碁は時間が短いために、この傾向が強いのだと私は思う。囲碁は「攻めと守りのバランス」が大事なゲームであるが、そのバランスを考えない打ち方が感情的にさせているように感じる。「攻撃は最大の防御である」との格言があるが、「過ぎたるは及ばざるが如し」との格言もある。自分の石の守りを放置して攻撃に徹すると、自滅する結果になるのも囲碁というゲームであるが、「手抜き」(無視)されために意地になって相手の弱そうな石を追いかけて取りたくなる心理が働き、失敗することが多いのが私の碁かもしれない。「手抜き」も棋理には反してはいない。石は取ろうとしてもなかなか取れるものではない。もっと冷静に打てればいいのだが。
結城聡九段は、「石の強弱は相対的なもので、自分の石が強くなれば相手の石が弱くなり、自分の石が弱くなれば相手の石が強くなる。序盤であれ中盤であれ、”強い石と弱い石、強い場所と弱い場所”を判断して打ち進めるのが鉄則になる」と著書に書いている。理論的には理解できるが、この鉄則に反して打っているのがアマの碁である。
ネット碁を打っていて感じるのは、棋理を考えるよりも感情と欲が強くでてきてしまう。
一局の碁を気持ちよく打てることはほとんどない。「苛立ち」や「怒り」の感情を避けることはできない。自分の石を取られると腹立たしくなる。原因が自分のミスにあると、自分に腹が立つし、相手の腕力によると、屈辱感を味わう。石を取られると冷静さを欠くことは確かである。部分的に石を取られても、全局的には劣勢であるとは限らないし、相手に自分の石を取らせることで優勢に立つこともよくあることだ。「石を取られる」と「石を取らせる」とでは、大きな違いがある。「石を取らせる」ことは囲碁のテクニックである。必要な石(要石)は取られてはならないが、不要な石(カス石)は取らせたほうがいいのである。この要石とカス石の判断力こそが大事なのだが、全ての石を取られたくないとの心理が働いているのがアマチュアである。相手の石は取りたいが自分の石は取られたくないのが本能的な感情である。人間のエゴである。交互に打つのがルールなので、自分だけが得するようなことはできないと考えるのが自然の理である。人間の欲とも言えるが、相手の石を取って差をつけて勝ちたいとの心理が働いてしまうのである。半目差でも勝てばいいとの考え方にならないのが、アマチュアの感情であり、対局心理であると思う。プロと違って考えるよりも感覚的に打つ傾向が強く、俗に言う「でたとこ勝負」になってしまう。ネット碁は時間が短いために、この傾向が強いのだと私は思う。囲碁は「攻めと守りのバランス」が大事なゲームであるが、そのバランスを考えない打ち方が感情的にさせているように感じる。「攻撃は最大の防御である」との格言があるが、「過ぎたるは及ばざるが如し」との格言もある。自分の石の守りを放置して攻撃に徹すると、自滅する結果になるのも囲碁というゲームであるが、「手抜き」(無視)されために意地になって相手の弱そうな石を追いかけて取りたくなる心理が働き、失敗することが多いのが私の碁かもしれない。「手抜き」も棋理には反してはいない。石は取ろうとしてもなかなか取れるものではない。もっと冷静に打てればいいのだが。