囲碁は、碁盤上で石の効率を競うゲームである。その結果として、土地の大きさを目(もく)数で表し、目数の差で勝ち負けが決まる。半目(0.5目)から中押し(どちらかが途中で敗北を認めて放棄すること)で決着する。引き分けをなくすルールとして、0.5目というハンディを設定している。互角の棋力の試合では、黒石を持った方が6.5目のハンディを負うことになっている。10年ぐらい前までは、5.5目であった。先番(先に打つ)有利をなくすために変わったものである。プロの試合は全てこの方式で、互戦と呼ばれ、アマチュアの間でもこの方式が使われている。アマチュアでは、棋力の差によって、互戦から黒の先番(0.5目のハンディ)、2子から9子まで黒石を盤上に置いてゲームを行うハンディ戦がある。碁盤には、中心点(天元の星)と他に星と呼ばれる地点が8か所ある。9子を置く場合には、その9か所(星)に石を置いてゲームをすることになる。その9か所は、全て盤上の要点であるが、私のレベルでは、9子置いてもアマチュアのトップレベルには勝てないだろう。この棋力の差はとてつもないと言える。私は、対面して碁を打つ機会は、年に1回だけなので、普段はインターネットで碁を打っている。私は、ネット碁では置碁を打たないことにしている。
ネット碁を打つようになってから10年を超えているが、棋力は上達していない。対面で打っている時には、過去に学習したことをもとに、自分なりに考えて打つようにしていたが、ネット碁に慣れるにつれて、考えて打つよりも感覚で打つ習慣が定着してしまった。
以前は時間をかけて打つ碁であったが、今では、早く打つ碁になり考えなくなってしまった。良い傾向ではないと思っているが、相手の打つ手が遅いと苛立つことが多くなった。ネット碁は、対局相手の顔が見えないために、感情的になる傾向があるように思う。ネット碁は顔の見えない相手との格闘技的な要素がある。囲碁は頭脳のスポーツとも言える競技であるが、プロとアマチュアでは大きな違いがある。アマチュアは相手の石を取りにいく強引な手を打つが、プロは石の働きを効果的に発揮する打ち方が基本になっている。有利に戦いを進めるための駆け引きが行われる読み合いのゲームになっている。アマチュアの碁は勝つか負けるかの勝負だけのゲームになる傾向が強いと思う。無理な手をとがめることができないと相手のペースに巻き込まれてしまい、1手のミスによって形勢が悪くなり、その結果負けてしまうことも多く経験している。その時の腹立たしさは何とも言いようがない。またミスの原因の多くは石にこだわることにある。必要な石(要石)と不要な石(カス石)の判断ができていないためであるが、この判断が難しいのである。強い石と弱い石、強い場所と弱い場所の判断を間違えることが多いのがアマチュアの碁と言えるかもしれない。対局していると、戦いの部分にのめり込んでしまい、全局的な判断をする冷静さを見失ってしまう。これが対局心理である。囲碁は人間の感情と欲が表れる戦いのゲームと言えるかもしれない。ネット碁を打っているとそのことを感じるのは私だけではないだろう。
ネット碁を打つようになってから10年を超えているが、棋力は上達していない。対面で打っている時には、過去に学習したことをもとに、自分なりに考えて打つようにしていたが、ネット碁に慣れるにつれて、考えて打つよりも感覚で打つ習慣が定着してしまった。
以前は時間をかけて打つ碁であったが、今では、早く打つ碁になり考えなくなってしまった。良い傾向ではないと思っているが、相手の打つ手が遅いと苛立つことが多くなった。ネット碁は、対局相手の顔が見えないために、感情的になる傾向があるように思う。ネット碁は顔の見えない相手との格闘技的な要素がある。囲碁は頭脳のスポーツとも言える競技であるが、プロとアマチュアでは大きな違いがある。アマチュアは相手の石を取りにいく強引な手を打つが、プロは石の働きを効果的に発揮する打ち方が基本になっている。有利に戦いを進めるための駆け引きが行われる読み合いのゲームになっている。アマチュアの碁は勝つか負けるかの勝負だけのゲームになる傾向が強いと思う。無理な手をとがめることができないと相手のペースに巻き込まれてしまい、1手のミスによって形勢が悪くなり、その結果負けてしまうことも多く経験している。その時の腹立たしさは何とも言いようがない。またミスの原因の多くは石にこだわることにある。必要な石(要石)と不要な石(カス石)の判断ができていないためであるが、この判断が難しいのである。強い石と弱い石、強い場所と弱い場所の判断を間違えることが多いのがアマチュアの碁と言えるかもしれない。対局していると、戦いの部分にのめり込んでしまい、全局的な判断をする冷静さを見失ってしまう。これが対局心理である。囲碁は人間の感情と欲が表れる戦いのゲームと言えるかもしれない。ネット碁を打っているとそのことを感じるのは私だけではないだろう。