囲碁について書いてみる。現在、日本で囲碁をする人は少ない。平安時代に日本に伝えられ、僧や貴族の上流社会で行われていた。その後、武士へそして庶民へと定着した日本の伝統的文化と言えるボードゲームである。江戸時代に庶民の間で流行ったとされる将棋も同様である。現在では、囲碁も将棋も一般的なゲームではなくなっている。私のような団塊の世代が、最後の世代になってしまったのだろう。2001年に、「ヒカルの碁」と言う漫画がブームになり、その時に囲碁を覚えた世代がいるが、マイナーであることには変わりない。私も数人の生徒たちに囲碁を教えたが、その生徒たちが継続しているかどうかはわからないが、若い世代には関心が持たれていないのが現実のようだ。囲碁は、奥が深いゲームで非常におもしろいが、覚えるのに時間がかかるのが難点だ。将棋やチェスのように目的(終局)がはっきりしてはいないために、ゲームの終わりが分かりにくい。ルールは、難しくはないが。二人が白石と黒石を持つかを決めて、交互に碁盤の交点に石を自由に置くことができる。19路×19路の碁盤を使い、最終的には、土地の大きさを数で表して、数が多い方が勝つゲームである。囲碁では、その数を目(もく)と呼んでいる。囲碁の難しさの一つは、石の死活にある。石のグループが活きるためには、一定のスペースが必要で、相手が打つことができない着手禁止点が2か所必要とされる。その着手禁止点が2か所ある石には眼が有ると言う。「2眼で活き」の判断が難しい。お互いに接触している石に2眼がない時には、戦いになり石を取りあうことになる。取った石は、終局後に相手の土地に埋めることができる。この手続きを整地と呼んでいる。整地の結果で勝敗が決まるか、どちらかが投了することでゲーム終了となる。アマチュアの碁は、相手の石を取ろうとする傾向が強い。大石を取ることで勝負の決着を付けようとする。プロの碁は、大石を取ることでの決着は望んでいない。もちろん石が接触すれば戦いになるが、全局的な判断で部分的な戦いにはこだわらない。碁盤上の大局観を重視している。アマチュアにとって、この大局観が一番難しい。アマチュアは相手の石を取りたがる傾向が強く、プロは全局のバランスを重視している。そのプロの世界でも囲碁に対する考え方が変化してきている。私が囲碁を覚えた頃(30年以上前)は、日本の囲碁会がアジアの頂点に立っていた。20年前頃には、中国・韓国に抜かれ、日本が追いかける状況に変化した。近年では、囲碁の考え方が変化し、中国や韓国の影響を受けてきている。インターネットで対戦できる環境ができ、情報量も大きく増大し、研究されてきた背景がある。プロの世界でも以前よりも序盤の戦いが研究されている。従来の定石や布石の考え方が変化してきたと言える。コンピュータの進歩も著しい。現在では、コンピュータが、チェスのチャンピョンに勝ち、将棋では、一流のプロに匹敵するレベルに達している。しかし、囲碁の世界では、プロのレベルに到達することは不可能だと考えられている。囲碁の着手の変化は無限であるが故である。私のレベルでは、囲碁を語ることはできないが、人間が作った最も奥が深いゲームだと言えると思う。
私は、日々インターネットで碁を打っている。少数ではあるが、世界中の人たちが打っている。ヨーロッパ・カナダ・アメリカ・東南アジアの国々の人たちとも対戦している。それは、チャットを通じて知ったことである。私は無料の囲碁サイトの日本の碁会所で打っているが、そこには、イギリスの碁会所がある。そのサイトでのゲームはチャットが盛んである。観戦者がチャットで論評し合っているのだ。実ににぎやかである。日本の碁会所ではなかなか見られない光景である。日本の碁会所へも海外の人たちが多く来ている。英語でチャットしたければできることが多いように思う。フランス人やドイツ人とも英語でチャットができる。ネット碁の世界は、戦いが中心で力勝負になる傾向が強い。格闘技の世界に似ているので、感情的になりやすく、冷静な対応ができにくい心理状態になる。人間は感情の動物であるが、目に見えない相手と碁盤上で喧嘩しているような気持ちになることが多くあることは事実である。アマチュアにとっては所詮ゲームであるが故により感情的になってしまう。そのために取り返しのつかないミスをして負けにつながる場合が多くある。お互いにミスはあるが、ポイントでの一手のミスが勝敗を左右するのが囲碁というゲームである。お互いに相手を打ちのめしたいという心理が働いているのがネット碁の特徴かもしれない。プロの考える平和的に分かれる戦いは存在しない。序盤の戦いを有利に進めるように、布石を考えるが、一長一短がある。見慣れない布石に対応を間違えるとその後の戦いに大きな影響を与えることになる。そこでミスをすると焦りや無理が生じ、負けにつながることを多く経験している。碁に負けることは、特に悔しい気持ちになる。全て棋力の問題だからである。私は、ほぼ同等の棋力の人を選んで対戦しているので、5割ぐらいの勝率になる。大きく連勝することも、大きく連敗することも多いのが私の碁である。勝負にこだわらずに碁を楽しめるのが望ましいとは思っているが。
私は、日々インターネットで碁を打っている。少数ではあるが、世界中の人たちが打っている。ヨーロッパ・カナダ・アメリカ・東南アジアの国々の人たちとも対戦している。それは、チャットを通じて知ったことである。私は無料の囲碁サイトの日本の碁会所で打っているが、そこには、イギリスの碁会所がある。そのサイトでのゲームはチャットが盛んである。観戦者がチャットで論評し合っているのだ。実ににぎやかである。日本の碁会所ではなかなか見られない光景である。日本の碁会所へも海外の人たちが多く来ている。英語でチャットしたければできることが多いように思う。フランス人やドイツ人とも英語でチャットができる。ネット碁の世界は、戦いが中心で力勝負になる傾向が強い。格闘技の世界に似ているので、感情的になりやすく、冷静な対応ができにくい心理状態になる。人間は感情の動物であるが、目に見えない相手と碁盤上で喧嘩しているような気持ちになることが多くあることは事実である。アマチュアにとっては所詮ゲームであるが故により感情的になってしまう。そのために取り返しのつかないミスをして負けにつながる場合が多くある。お互いにミスはあるが、ポイントでの一手のミスが勝敗を左右するのが囲碁というゲームである。お互いに相手を打ちのめしたいという心理が働いているのがネット碁の特徴かもしれない。プロの考える平和的に分かれる戦いは存在しない。序盤の戦いを有利に進めるように、布石を考えるが、一長一短がある。見慣れない布石に対応を間違えるとその後の戦いに大きな影響を与えることになる。そこでミスをすると焦りや無理が生じ、負けにつながることを多く経験している。碁に負けることは、特に悔しい気持ちになる。全て棋力の問題だからである。私は、ほぼ同等の棋力の人を選んで対戦しているので、5割ぐらいの勝率になる。大きく連勝することも、大きく連敗することも多いのが私の碁である。勝負にこだわらずに碁を楽しめるのが望ましいとは思っているが。