私は、年をとっても「心」まで年をとりたくないと思っていますが、肉体的な衰えは避けられないと思います。日野原さんや、小沢さん、三浦さんの若々しさはすばらしいと思います。三浦さんの登山家としての鍛え方も真似できるものではありませんし、日野原さんが医師として生き続け、小沢さんが音楽家として生き、3人とも現役にこだわったいることも信じられませんが、生涯現役を貫けることは素晴らしいと思います。私は、個人的には彼らに特に関心はありまえせん。人それぞれの生き方の問題ですから。また彼らが偉大な人物だとも思ったこともありません。私のような人間と比べれば、はるかに優れていると思いますが。歴史上の人物と彼らを比べることは、次元が違うと思います。
 今回ノーベル物理学受賞者の赤崎氏のインタビューに関心を示しました。「科学の持つ両刃の剣について、人間の英知が問われること」、研究人生については、「自分がやりたいこと、好きなことであり、うまくいかないことがあっても続けられた」と回想。「(だれにでもできる『やさしい研究』はない」と断言し、「誰もできない、なかなかできないと言われたころから、『あ、これ(青色LED)こそぼくがやる仕事だ』と思った」と振り返った。(10・9毎日新聞より)赤崎氏のTVを通じての印象が強い。天野氏、中村氏には特別な感想はない。85歳の赤崎氏に魅力を感じたということです。「人間力」と言えるでしょう。
 過去の歴史上の人物で、関心があるのは、釈迦と日蓮です。釈迦は、涅槃する前の8年間に法華経を説き、それまでの教えを方便だ言いました、部分的な教えを説いてきたが、全体的な本質部分は法華経にあると明言しています。「生老病死」の問題に取り組むために出家したと言われています。生あるものには避けられないことです。29歳で出家し、35歳の時に、菩提樹の下で、悟りを得たと伝えられています。72歳から8年間かけて、法華経5巻28品を説法し、仏の真実を説いたとあります。宗派に関係なく法華経の経典は最高の教えであることは、知られていることです。その法華経を体得したのが中国の智顗(天台大師)、日本の最澄(伝教大師)であり、その全てを習得したのが日蓮です。日蓮の思想は、「民衆の幸福のために」の一点に尽きると言っても過言ではないでしょう。鎌倉時代に民主主義の原理を説き、時の執権北条時頼にあてた国家諌暁書が「立正安国論」です。
国家権力を諌めた僧侶は、仏教史上ただ一人です。そのために迫害され、龍ノ口では斬首されかかり、佐渡へと流罪されました。釈迦の法華経・日蓮の教えの本質は生命論にあると思います。生命の永遠性を説いています。万人の成仏を説いています。生命は無始無終と説き、生命の常住が、仏教の生命観と私は理解しています。成仏とは、一般に言われている死を意味するものではありません。日蓮は、「生死不二」と説き、生も歓喜、死も歓喜と述べています。私ごときに理解できることではありませんが、このような境涯が理想だと考えています。私の友人は、「死に対する恐れ」はないようです。私はまだそこまでの心境にはいたっていませんが。その友人は二人の奥さんに先立たれています。その体験の中での心境だと思います。この世で自分の使命を果たして死を迎え、死は生命の安息と捉えています。「自分らしく生き切る」ことに尽きると考えています。「生きる」のではなく「生き切る』ところにポイントがあると思います。したがって、現実の人生をいかに生き切るかが大切だと言うことになります。時間的な長さではないということです。「所願満足」の人生が理想で、
生死即涅槃が仏教の原理です。仏教のキーワードは「空」の概念、「不二」・「即」の概念だと私は考えています。もちろん私が理解できているわけではありませんが、ここに深い哲学があると思っています。私は長く生きたいとは思ってはいません。「いい人生だった」と最後に、生への感謝ができる人生でありたいと思っているのです。人生の道は一人一人違うように、感じ方は様々だと思っていますが、生きざまが即死にざまだと、今は考えています。私が人生の最終章いう言葉には、そのような意味が含まれています。まとまりもなく書きましたが、私の心の表現だと理解して頂ければと思います。
 話しは変わりますが、facebookやブログの世界に入ったらどうですか。facebookでは写真の登載やコメントが簡単にできます。ブログは色々あるようで私にはわかりませんが、私のように長い文章を書いているのは珍しいようです。日記的なものが多いようですし、自己宣伝を行っている人も多いようです。基本的に自由ですので、一つの発信の場として、私は自分の人生の記録のようなものを公開しています。ではまた。