先日、大腸の内視鏡の検査で、ポリープが見つかり、その除去を行ったために、1日入院することになった。2007年、2009年に続き3回目の入院だ。以前の2回は、それぞれ1週間だったので、1日ですんだのでほっとしている。切除後の経過を見るためのもので問題はなかった。病室で、次男にメールを送った。「1日入院だが、心配はいらない」
と送ったが、息子は心配な様子のメールを送ってきた。「病室で携帯をいじくっているくらいだから心配いらない」と自分に言い聞かせているようなメールだった。「本当に大丈夫だから心配はいらない」と再度メールを送った。そのメールで安心したようだった。思わぬ形で、息子とのコミュニケ―ションが取れた。携帯も便利なツールだと感じた。アナログ人間がインターネットの世界に入るきっかけを作ってくれた息子である。私はインターネットの世界で迷いながらブログを書いたり、フェイスブックを利用したりしているのが昨今である。パソコンに振り回されているが。
 入院中にテレビで見た番組が、NHKのEテレだ。その中で、20代の自殺の数が一番多く、自分の居場所がないと感じている若者も多く、番組の企画で集まって話すことで、一時的に同じような思いの人たちと話しができてよかったが、一人になると元の自分に戻ってしまうようだ。閉塞的な社会で、対面で話しができること、話しを聞いてくれる人との共有感を抱ける人がいないと思っている若者が多いことに驚いているのが実感である。
ネット上でのつながりを求めている若者も多いようだ。私の若い頃には考えられなかった時代になっているようだ。人間は、人と人の間に生きるものだ。人間関係が希薄になっている現代社会は、犯罪もあまりにも残酷なニュースが入ってくる。
長い間の経済不況の影響も大きいと思っているが、科学技術が進み、便利になるほど、人間の疎外感が増してくるように思えてならない。「人間疎外」の言葉が使われるようになって久しい。私も久しぶりにこの言葉に出合った気がする。物やお金よりも「心が大切」と感じさせる社会になっているように思う。物の豊かさが心の豊かさにはならない。最低限生活していくためのお金は必要であることを否定するつもりはない。仕事も生活のためとの側面があることも否定できない。非正規雇用の形態は、不安定で閉塞感を抱く要因になっているように思う。若者が希望を持てる社会を望んでいるが、簡単なことではないことは確かである。しかし、自分には居場所がないと思ってほしくない。居場所は与えられるものではない。私が、居場所という言葉自体を意識するようになったのは、退職後のことである。現役で働いている間は、退職後の悠々自適の生活をイメージしたりしたが、そんな生活を送れる人は少ないのが現実である。健康とお金の両方がある人のことである。私のように、両方を持たない人間は大変である。従って居場所探しになるのだ。居場所は自分で見つけるしかない。このことは、若者も年寄りもないのだ。言葉を換えると、「張合い」とも「生きがい」とも言えると思う。働くことは苦痛だと感じることは多いと思うが、働ける所があることは、居場所の一つであると思っている。人との関わり、仕事の内容に不満を感じている人も多いが、自分の心のあり様を見つめてほしいと願う。この世に必要のない人はいないのだから。私の今の居場所は何か。学ぶことであり、考えることであり、書くことであり、伝えることである。時間だけが豊富にあるので、これができるのである。健康との折り合いをつけなければならないが、人間は考える動物である。頭を使い考え、体を動かさなければならないように作られていると思っている。「人間は考える葦である」は17世紀のフランスの哲学者・パスカルの名文句である。広辞苑によると、「パンセ」の中で人間の存在をとらえた語。人間は葦にたとえられるような弱いものであるが、考えるという特性を持っているとして、思考の偉大さを説いたもの。とある。自分で物事を考えることが大切であり、そのことを発信することも大切だと思う昨今の私である。発信と受信のやり取りがコミュニケーションであるが、情報化社会では、受信よりも発信の方がより重要だと、私は考えている。人間関係で言えば、話すことと聞くことである。この場合は、聞くことの方がより重要だとは思っているが。人の話を聞くには、それだけの人間としての容量が必要だからである。相手の立場で話しを聞ける人が最も素晴らしい人だと思う。だからこそ良き友が大切なのだ。良き友を持つ人は幸せだと思う。私には良き友がいる。その友に感謝の思いでいる。私は、この10年の間病気に苦しみ、悩まされた。この気持ちを表現している言葉を紹介する。「冬は長かった、冬は厳しかった。私は絶対にそのことを忘れない。今日、春が始まる。今は希望の蕾が開いている」。精神はこのようでありたいと思う。精神に老いるということはないのだから。“若い心”を失いたくない。