今回は、手紙として書く。君からの返信がもらえないのが寂しい。あえて書いて置きたい。君への何かのヒントになることを祈る思いで。
敬老の日に、御殿場線に乗って国府津を経由して横浜に向かった。横浜駅で下車して、西口に出た。ここは私にとって、大学の通学の帰りによく立ち寄った場所であり、今では、懐かしい場所である。ダイヤモンド地下街に入り、有隣堂を探すことになった。地下街は昔とは全く変わっていた。一軒の本屋を探して歩くことになった。昔あった場所から離れた所で、有隣堂を見つけた。この書店は、私が一番多く通った本屋である。ここで一冊の本を目にした。「東大教授が教える独学勉強法」である。この題名に惹かれて、本を手にして、数ページ目を通して購入した。この本は、妻の実家に行ってから、一気に読んでしまった。妻の実家は大船にあり、妻の母の具合が良くないとのことで、お見舞いに来たのではあるが。一晩泊まり、翌日妻は病院に付き添って行くと言うので、私は、友人に電話をして、時間があれば会おうと言い、16日の11時半に川崎駅で会う約束をした。私は30分前に川崎駅に着いたので、駅前から少し歩いて回った。実に40数年ぶりのことだ。昔と大きく変わったとの印象はないが、地下街が整備され多くの店があった。ここが大きく変わったことである。私の知っている川崎には、地下街はなかった。駅に戻り友と再会した。喫茶室で、アイスコーヒーを飲みながら色々な話しをした。彼はアルコールを飲みたかったようだが、私は、アルコールを受けつける体質ではないので、喫茶室になったのだが、昼過ぎに地震があった。揺れが長く感じたが、話しを続けた。1時前に昼食に行こうということで、彼の知る店に案内され、ランチの鰻丼を食べた。小さな鰻だった。以前よりだいぶ小さくなったと彼は言っていた。その店を出てから、私がルノアールに誘った。会う前に見つけておいた喫茶店である。ルノアールは、私の時代からあった喫茶店である。このルノアールは、私の好きな画家ルノアールの名をとっているようだ。ゆっくり話すには快適な場所との印象を持っていた。入って見ると作りは変わっていた。当然であるが、昔のゆったりとした空間はなくなっていた。どのルノアールでも同じ作りとの印象をもっていたので少しがっかりした。コーヒーはおいしくなかった。3時頃に友と別れ、鎌倉に向かった。鎌倉でおいしいコーヒーと漬物を買いたいだけで行ったのだ。鎌倉八幡宮の鳥居から歩き、八幡宮から小町通りへと歩いていった。小町通りで一軒の喫茶店に入り、店の人に、お勧めは何ですかと尋ねコーヒーを注文した。おいしいコーヒーだった。コーヒーを飲みながら、「独学的勉強法」について、文章を書きたかったので、手持ちの文章の裏側や余白を利用して書き始めた。頭に浮かぶままボールペンを走らせた。翌日(17日)家で、文章を書く時には、その原稿を見ていなかった。教授の書いた“試行錯誤”をキーワードに自分の体験を思い出しながら、文章化した。それをブログに載せたのである。A4用紙で4枚の長さになってしまった。400字の原稿用紙では14枚の長さになる。18日に「独学的勉強法」の著者である柳川範之教授に手紙を書いたのだ。ここでのキーワードは”熟成・加工”である。この言葉が、私の教員生活の担任としての指導方法を思い出させてくれたのだ。そのことも、著者に伝えたかったのだ。柳川教授の本を一読して、私に最も印象に残った言葉が、“試行錯誤”と”熟成・加工”である。読めばわかるが、私の教員生活は、試行錯誤の連続だったように思う。君たちを教えている中でも、試行錯誤をしていたのである。その部分は私自身無意識にやっていたことだと思う。自分自身で身に付けた方法であるが故に、無意識になっていたと思う。中学・高校時代・大学時代の自分の勉強法や教員として担任をしていた頃のことや、授業を通じた教員生活を私に思い出させてくれた一冊の本である。だからどうしてもそのことを文章化して残しておきたかったとの思いが強いのである。それ故に君にもどうしても読んでもらいたいのだ。現在の教育環境は私の時代とは変わってしまっている。しかしいつの時代でも同じことが言えるのではないか。昔がよかったのではない。現在が、今が大切なのだ。生きる時代背景は常に異なるものだ。今の時代に、一人の教員として、子どもの幸せのために、自分に何ができるのかを問うべきである。その答えは、自分で探していくしかないのである。人生も同じであると思う。答えはないのである。その答えを求めて、試行錯誤しながら、前に進んで行くのである。試行錯誤の連続が私の人生であり、教員生活であった。最初の学校で、校長との話しの中で、「私が試行錯誤している」と話した時に、校長は、「教員は試行錯誤しているようでは駄目だ」と言われた言葉は忘れない。教員になってまもない頃であったので、反論もできず、疑問を抱えたままであったことを、今思い出している。この校長も何も分かってはいなかったのだと、今は確信を持って言いきることができる。英語では、trial and error である。自分で考え試みて誤りに気づきながら、新たな答えを見つけ出すことの繰り返しではないか。「自分で考え、自分の中で、熟成し加工して自分の言葉でわかりやすく伝える」は柳川教授の考え方であるが、私も同意見である。ここにポイントがあると思う。子どものためと言いながら自分の出世のことしか考えていない教員を、私はたくさん見てきたのである。そして彼らが管理職になって行ったのだ。人物を見極める目を持たなければならない。先輩、管理職というだけで信用することはできない。自分で学ぶことが大切だ。多忙化している教師を取り巻く環境の中で、これからの教育を担う君に、このことだけは伝えておきたいのだ。ここで、大事なことが抜けていることに気がついた。私の教師としての判断基準だ。一言で言えば、生徒の反応である。生徒の目や顔の表情から生徒の心を想像して判断したのだ。反応を見て、感じて方法を考えるやり方だ。人の私への評価ではない。管理職の見方など全く信用していなかったと言ってもいい。私の眼は生徒に向いていた。生徒の笑顔が、私にとっての支えであり、喜びであった。私の経験はブログ・「独学的勉強法の体験的読み方」と「独学的勉強法の柳川範之教授への手紙」を読んでほしい。読んでくれれば、何かのヒントになると信じている。私の経験を率直に書いているからだ。では元気で頑張ってくれることを心の底から期待し、希望している。
相川より
敬老の日に、御殿場線に乗って国府津を経由して横浜に向かった。横浜駅で下車して、西口に出た。ここは私にとって、大学の通学の帰りによく立ち寄った場所であり、今では、懐かしい場所である。ダイヤモンド地下街に入り、有隣堂を探すことになった。地下街は昔とは全く変わっていた。一軒の本屋を探して歩くことになった。昔あった場所から離れた所で、有隣堂を見つけた。この書店は、私が一番多く通った本屋である。ここで一冊の本を目にした。「東大教授が教える独学勉強法」である。この題名に惹かれて、本を手にして、数ページ目を通して購入した。この本は、妻の実家に行ってから、一気に読んでしまった。妻の実家は大船にあり、妻の母の具合が良くないとのことで、お見舞いに来たのではあるが。一晩泊まり、翌日妻は病院に付き添って行くと言うので、私は、友人に電話をして、時間があれば会おうと言い、16日の11時半に川崎駅で会う約束をした。私は30分前に川崎駅に着いたので、駅前から少し歩いて回った。実に40数年ぶりのことだ。昔と大きく変わったとの印象はないが、地下街が整備され多くの店があった。ここが大きく変わったことである。私の知っている川崎には、地下街はなかった。駅に戻り友と再会した。喫茶室で、アイスコーヒーを飲みながら色々な話しをした。彼はアルコールを飲みたかったようだが、私は、アルコールを受けつける体質ではないので、喫茶室になったのだが、昼過ぎに地震があった。揺れが長く感じたが、話しを続けた。1時前に昼食に行こうということで、彼の知る店に案内され、ランチの鰻丼を食べた。小さな鰻だった。以前よりだいぶ小さくなったと彼は言っていた。その店を出てから、私がルノアールに誘った。会う前に見つけておいた喫茶店である。ルノアールは、私の時代からあった喫茶店である。このルノアールは、私の好きな画家ルノアールの名をとっているようだ。ゆっくり話すには快適な場所との印象を持っていた。入って見ると作りは変わっていた。当然であるが、昔のゆったりとした空間はなくなっていた。どのルノアールでも同じ作りとの印象をもっていたので少しがっかりした。コーヒーはおいしくなかった。3時頃に友と別れ、鎌倉に向かった。鎌倉でおいしいコーヒーと漬物を買いたいだけで行ったのだ。鎌倉八幡宮の鳥居から歩き、八幡宮から小町通りへと歩いていった。小町通りで一軒の喫茶店に入り、店の人に、お勧めは何ですかと尋ねコーヒーを注文した。おいしいコーヒーだった。コーヒーを飲みながら、「独学的勉強法」について、文章を書きたかったので、手持ちの文章の裏側や余白を利用して書き始めた。頭に浮かぶままボールペンを走らせた。翌日(17日)家で、文章を書く時には、その原稿を見ていなかった。教授の書いた“試行錯誤”をキーワードに自分の体験を思い出しながら、文章化した。それをブログに載せたのである。A4用紙で4枚の長さになってしまった。400字の原稿用紙では14枚の長さになる。18日に「独学的勉強法」の著者である柳川範之教授に手紙を書いたのだ。ここでのキーワードは”熟成・加工”である。この言葉が、私の教員生活の担任としての指導方法を思い出させてくれたのだ。そのことも、著者に伝えたかったのだ。柳川教授の本を一読して、私に最も印象に残った言葉が、“試行錯誤”と”熟成・加工”である。読めばわかるが、私の教員生活は、試行錯誤の連続だったように思う。君たちを教えている中でも、試行錯誤をしていたのである。その部分は私自身無意識にやっていたことだと思う。自分自身で身に付けた方法であるが故に、無意識になっていたと思う。中学・高校時代・大学時代の自分の勉強法や教員として担任をしていた頃のことや、授業を通じた教員生活を私に思い出させてくれた一冊の本である。だからどうしてもそのことを文章化して残しておきたかったとの思いが強いのである。それ故に君にもどうしても読んでもらいたいのだ。現在の教育環境は私の時代とは変わってしまっている。しかしいつの時代でも同じことが言えるのではないか。昔がよかったのではない。現在が、今が大切なのだ。生きる時代背景は常に異なるものだ。今の時代に、一人の教員として、子どもの幸せのために、自分に何ができるのかを問うべきである。その答えは、自分で探していくしかないのである。人生も同じであると思う。答えはないのである。その答えを求めて、試行錯誤しながら、前に進んで行くのである。試行錯誤の連続が私の人生であり、教員生活であった。最初の学校で、校長との話しの中で、「私が試行錯誤している」と話した時に、校長は、「教員は試行錯誤しているようでは駄目だ」と言われた言葉は忘れない。教員になってまもない頃であったので、反論もできず、疑問を抱えたままであったことを、今思い出している。この校長も何も分かってはいなかったのだと、今は確信を持って言いきることができる。英語では、trial and error である。自分で考え試みて誤りに気づきながら、新たな答えを見つけ出すことの繰り返しではないか。「自分で考え、自分の中で、熟成し加工して自分の言葉でわかりやすく伝える」は柳川教授の考え方であるが、私も同意見である。ここにポイントがあると思う。子どものためと言いながら自分の出世のことしか考えていない教員を、私はたくさん見てきたのである。そして彼らが管理職になって行ったのだ。人物を見極める目を持たなければならない。先輩、管理職というだけで信用することはできない。自分で学ぶことが大切だ。多忙化している教師を取り巻く環境の中で、これからの教育を担う君に、このことだけは伝えておきたいのだ。ここで、大事なことが抜けていることに気がついた。私の教師としての判断基準だ。一言で言えば、生徒の反応である。生徒の目や顔の表情から生徒の心を想像して判断したのだ。反応を見て、感じて方法を考えるやり方だ。人の私への評価ではない。管理職の見方など全く信用していなかったと言ってもいい。私の眼は生徒に向いていた。生徒の笑顔が、私にとっての支えであり、喜びであった。私の経験はブログ・「独学的勉強法の体験的読み方」と「独学的勉強法の柳川範之教授への手紙」を読んでほしい。読んでくれれば、何かのヒントになると信じている。私の経験を率直に書いているからだ。では元気で頑張ってくれることを心の底から期待し、希望している。
相川より