前略
突然のお手紙失礼いたします。私は静岡県立高校教員を退職して、2年半の時が経っています。15日の敬老の日に、妻の母のお見舞いに大船に行く前に、横浜の西口に立ち寄りたくなったのです。私にとってはとても懐かしい場所です。大学への通学の帰りに、よく立ち寄ったのです。40年以上の歳月が流れています。私が静岡県に赴任してからは、めったに来る機会はありませんでした。久しぶりに、有隣堂書店に行きました。そこで柳川教授の「東大教授が教える独学勉強法」が目に入りました。本を手に取り、ページをめくって、読んでみようと思い購入したのです。一気に読んでしまったので、記憶に残ったことをたよりに、昨日、「独学勉強法の体験的読み方」と題して、文章を書いてブログに載せました。そこでも書きましたが、私にとって、一番印象的な言葉は、『試行錯誤』です。この言葉を、私の人生を振り返るキーワードと捉え、文章を書きたくなりました。16日には、久しぶりに学生時代の友と再会し楽しい時間を過ごすことができました。その友とは川崎で会ったのですが、友と別れてから、鎌倉へと行きました。鎌倉八幡宮の鳥居から歩き始めて、八幡宮から小町通りを歩いて、喫茶店に立ち寄り、コーヒーを飲みながら、手持ちの文章の裏の余白に、文章を書いていきました。それほど書きたかったのです。教授の『試行錯誤』の言葉に触発されたと言えると思います。昨日文章を書き始めた時には、前日に書いた文章を見ていませんので、文章が変わってしまったことは事実です。基本的な流れは、頭の中に入っていますから問題はないのですが、書き落としたことがあるように思います。『熟成』のことを書き落としていることに気付きました。教員時代のことは省いたので、この言葉がでてこなかったのですが、この加工・熟成が、私の担任としての指導方法であったことを思い出させてくれたのです。自分の中では、この言葉が浮かんでこなかったのです。もちろん私の解釈の範囲なので、教授のお考えと一致しているかどうかはわかりません。このことは、私の学びでも無意識に行っていたように思います。担任としての立場では異例だと思いますが、生徒に伝える時に、一度自分の中で、熟成し、加工して、自分の言葉に変えて伝えることを行っていたことを思い出させて頂きました。ここが私の教師としての特徴であったと自負しているところです。この熟成の言葉が出てきませんでした。この指導方法は、他の普通の教員にはできないことです。上意下達の指導を当然のことと考えているからです。いかに自分で咀嚼(今浮かんだ言葉)して自分の言葉で生徒に伝えられるかが教師の力量だと私は考えています。私の先輩や同僚の中から多くの管理職がでましたが、この一点をおさえられた教員は、私の知る限り一人もいません。彼らの多くは、上昇志向を持ち、学校運営で管理職に異論を唱えた者はいません。もちろん異論を唱えるような人は推薦されることはないのが、人間の組織に共通したことですが。自分のことしか考えていないと言いきってもいいと私は思っています。彼らは生徒のためにどうするのがいいのかを考える視点を失っていたと言っても言い過ぎではないでしょう。私は、生徒の方にスタンスを置いて、職員会議の場でも発言してきました。そのために、孤立感を味わう経験もしました。その時に、支え助けてくれた先生がいます。実名を書きます。小林数樹先生です。先生には心から感謝の気持ちで一杯です。その先生は、私より20歳ほど年上で、同じ教科の先生です。その先生とは私が30歳前に出合ったのですが、9年前に亡くなるまで、公私にわたってとてもお世話になりました。私の教員生活で、最も尊敬し、最も頭のいい先生でした。その先生とは約30年お付き合いさせて頂きました。私的には、麻雀と囲碁です。私の趣味の一つが囲碁ですが、この先生に出合わなければ、囲碁をやっていることはありません。この先生との時間の共有を求めたのが、囲碁を始めた動機だからです。またそういう環境にあったことも幸いしているのですが。先生とは旅行に出かけたことも何回もあります。語ればこの先生との思いでは尽きません。こういう先生が私の身近にいたのです。今の教育の世界ではありえないことです。教授は、伊藤先生との出会いが人生の転換点と書かれており、感謝が尽きないとの思いを書いておられる。人生における人との出会いに恵まれた人は幸せだと思います。出会いに関して、さらに書かせて頂きます。
 私は創価学会員です。大学3年生の10月に、私の人生の師である池田名誉会長にお会いしています。その時に、池田先生に私の進路について質問させて頂きました。その折に、私の話しを聞くと同時に、私の人物を洞察されて、質問に答えて下さいました。その時の空気というか、空間というのか適切な表現はできませんが、私の胸に先生の言葉が入ってきました。「君は電車に乗り遅れるタイプだ。君は教師のほうがいいね。回り道をするね」の言葉は、生涯忘れることはありません。教師の道を歩む決心をしたのがこの時です。
 最後に、教授の学びの成果をアウトプットすることに触れようと思います。教授は、「人に伝えようとすることで学びはさらに深まる」と書かれています。人に伝えることは難しい。特に“心の思いを伝えること”は更に難しいと実感しています。教授は、自分の言葉でやさしく書くことを勧めています。その通りだと思います。文章を書くようになって実感していることです。私は退職してから、自分の居場所について考えています。教職についている時には考えてもいなかったことです。私には、これといった才能・能力がありません。あるのは私が歩んだ経験だけです。その経験を生かす方法を模索しているのです。また学びたいことがたくさんあります。もう一度勉強し直したいとも考えています。学びを通して、自分の経験に照らして考え、伝えていくことができれば、との思いです。幸いに、ブログという手段が見つかったので、この場所を使って人に伝えたいと考え、行なっているところです。たとえ読んでもらえる人が少なくとも、私の息子や、孫には伝え残したいのです。私のささやかな人生の小さな足跡を記録しておきたいのです。これが私の本当の気持ちです。何の面識もない柳川教授にお手紙を書くことは失礼だと知りながら、書かずにはいられませんでした。教授の書の力だと思います。教授の考え方が、私の心に共鳴したが故のこととお許し下さい。教授の御返事を頂けるならば、この上ない喜びだと思います。この辺りで、書くのをやめます。教授は51歳の若さですので。これから更なるご活躍を希望しています。お身体には、充分留意して下さい。ありがとうございました。
草々