池上彰氏の「おとなの教養」(私たちはどこから来て、どこへ行くのか?)教養とは「自分を知ること」です。との題名が目につき、購入して一気に読んでしまった本である。再度読み返して、自分なりに整理してみる。「リベラルアーツ」の言葉は、私には新鮮に感じられる。リベラルアーツは ①「自由学芸」と同意で、ギリシャ・ローマ時代からルネサンスにかけて一般教養を目的とした諸学科。すなわち文法・修辞学・論理学の3学および算実・幾何学・天文学・音楽の4科の7学科。自由七科。② 自由な心や批判的知性の育成、また覚醒を目的にした大学の教養教育の課程、とある。[広辞苑より] 私が不勉強だったせいか、リベラルアーツとの知識はなかった。大学での一般教養課程では、3学問領域の学習だった。① 人文科学:哲学・歴史学・文学など人間文化を研究対象とする学問の総称。② 自然科学:自然界に生ずる諸現象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問。ふつう天文学・物理学・地学・生物学などの分野に分ける。また、応用を主眼とするか否かによって、基礎科学と応用科学にも分ける。③ 社会科学:社会現象を対象として実証的方法によって研究する科学の総称。政治学・法律学・経済学・社会学・歴史学・文化人類学およびその他の関係諸科学を含む。[広辞苑より]
 私の大学時代は、1,2年次に3学問領域(人文・自然・社会科学)のそれぞれ3科目を選択する学習が必修だった。それぞれ1科目が4単位で計36単位であった。プラスして英語・第二外国語(選択)・体育が必修だったと記憶している。正直に言って、私は単位の取得しか考えていなかった。したがって、教養としての学問を勉強してこなかった。その反省を持ったのは、教師の職業に就いてからのことである。物事を知るためには、基礎・基本の知識が必要であることを認識してからである。高校までは既存の正しい知識を習得することが課題であり、それを教える立場に立っていた。日本では、長い間一斉授業による知識の詰め込みの授業が、学校教育の基本になってきた。現在その転換点を迎えていると思えてならない。最近読んだ毎日新聞に、第26代京都大学学長に内定した山際寿一教授が大学教育の使命について抱負の一端を述べた文章が載っていた。その中で、「大学は社会へ、そして世界へ通じる“窓”である。(中略) 教員が用意した“窓”を通じて新しい世界を眺めることができるのが大学の大きな魅力である」「大学で学生たちは本物の学問に出合う。それはいまだ解のない世界であり、先人たちが未知の解を求めて苦闘した歴史である。そこで学生たちは学問の面白さや可能性、世界にある問題を知り、自分の能力が何に向いているかを理解していく。それに気がつくのは“自分”であるが、その助けとなるのは仲間であり教員である、そのためにこそ、大学は世間の常識にとらわれない“自由な発想”が許される場でなければならないのだ。(中略)たくさんの知識や技術を習得したから高い能力が育つわけではない。“自分”で課題を見つけ、その解決へ向けて活躍できる“自分”を見つけたとき、その能力は飛躍的に伸びる。その時、それまで蓄積してきた思わぬ知識が役に立つかも知れないし、仲間の常識外れの発想がブレークスル―につながるかもしれない」「学問に国境はない。(中略)現代の学生にとって、大学は単に知識を学ぶ場所ではない。インターネットを開けば、膨大な知識に接することができるからだ。大学とは、教員個人の考え方を通じて、世界の“解釈の方法”や、知識や技術を“実践に移す方法”を学ぶ場所である。そのために、教員は学生にとってもっと魅力的な存在になる必要がある、と私は思う」と述べている。この文章を読み、このような教授に教わりたかったと実感したのである。大学教育の本質を語っていると感銘を受けたので、一部ではあるが、私の心に共鳴した部分を引用させて頂いた。
 池上氏が、2013年に、アメリカのハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、女子大学ウェルズリーカレッジの視察した。それらの大学では、「リベラルアーツ」教育を徹底しているとのことだ。エリート大学は、「すぐに役にたたなくてもいいこと」を教える。すぐに役に立つことは、世の中に出て、すぐに役に立たなくなる。すぐに役に立たないことが、実は長い目で見ると、役に立つ。という考え方なのです。「だから本当の教養というのは、すぐには役に立たないかもしれないけれど、長い人生を生きていく上で、自分を支える基盤になるものです。その基盤がしっかりしていれば、世の中の動きが速くてもブレることなく、自分の頭で物事を深く考えることができるようになるわけです。アメリカの大学の視察をしてから、現代の教養とはそういうものだなと考えるようになりました。」と池上氏は書いている。
私のように、大学教育において、教養課程すらまともに勉強しなかった人間に物事について語る資格はないかもしれないが、私は、4年間の大学生活という自由な時間の中で、自分の生きる道を探すことと生涯の友を持つことに時間をかけた。その結果、人との関わりを求めて、教職の道を歩む基盤を学生時代に築いたのだ。「正直に自分らしく」が私の信条となったのは、学生時代の活動経験から自分で学んだものだ。学問をしたとは言えないが、宗教哲学の本を読み学習した記憶が残っている。知識としては残ってはいないが、勉強したことは確かである。また友と色々な分野の話しをしたことが記憶として残っている。人生、恋愛、政治、文化、社会、教育、平和等の問題である。夜を徹して話しをしたことも数多くあった。未熟ではあったが、自分の頭で物事を考えていた。そういう経験が私の基盤になったと思っている。社会に出てすぐに役に立つような知識を学んではいないのは事実である。これが私にとっての人生のカルチャーのスタートだったと感じている。あとは社会に出て教員生活の歩みの中で、様々な経験の中で、自分で考えて学んだものである。今は、自分の人生の歩みを振り返りながら、勉強をし直していると言える。それをこのようなブログの形で文章化しているのである。誰の目にも留まらないような自分の小さな足跡を残したいという思いの故である。
 池上氏は、「自分自身を知る」ことこそが現代の教養と考えている。「自分自身を知る」ということを主題に据えて、現代の自由七科とは、① 宗教 ② 宇宙 ③ 人類の旅路 
④ 人間と病気 ⑤ 経済学 ⑥ 歴史 ⑦ 日本と日本人、となると書いている。
その内容については、次の機会に書きたいと考えている。