24日の昼食時に、静岡新聞で、閣議決定に対する外国の反応を表す記事を目にした。欧米諸国・オーストラリアが歓迎・支持、東アジア中・韓両国は反対、東南アジア諸国は、支持・理解・言及せずのようだ。それぞれ国が抱えている事情が違うことを表している。しかし、「集団的自衛権の行使容認」の言葉が、“一人歩き”したことは、事実である。全国紙5紙が、朝日・毎日が反対、読売・産経・日経が賛成の論陣を張った。テレビでのある解説委員の発言が印象深い。「賛成も反対も共に“平和”を言っている」と。メディアの役割と責任は重く、世論を形成する力を持つ。世論調査では、賛成か反対のどちらかでは、反対が過半数を占める。戦後の平和国家としての歩みを支持している国民の方が多いようだ。今回の閣議決定の内容については、あまり報道されてはいない。
私は、最初に「日本国憲法」前文・第9条[戦争の放棄]・第13条[国民の権利及び義務]を読んだ。前文は、「国民主権」「国政は、国民の信託」「世界の平和主義」を謳っている。第9条は「国際平和」「武力行使の放棄」「軍隊不保持」だ。第13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」この権利は、「立法・国政の上で、最大の尊重の必要」とある。私はこの“日本国憲法を最大に尊重”する。世界に誇れる憲法である。また、憲法は「国家権力の暴走の歯止めをかけるもの」であり、「法の法」である。戦後、日本は、憲法改正が行われていない唯一つの国である。まず、第96条(憲法改正の要件)を改正し、憲法改正を行いたいのが、保守勢力である。この部分でも、メディアは集団的自衛権と一致している。日経は非表明だが。
閣議決定の冒頭部分をそのまま引用する「我が国は、戦後一貫して日本国憲法の下で平和国家として歩んできた。“専守防衛”に徹し、他国に“脅威”を与える軍事大国とはならず、“非核三原則”を守るとの基本方針を堅持しつつ、国民の営々とした努力により経済大国として栄え、安定して豊かな国民生活を築いてきた。また、我が国は、平和国家としての立場から、国際連合憲章を遵守しながら、国際社会や国際連合を始めとする国際機関と連携し、それらの活動に積極的に寄与している、こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これを確固たるものにしなければならない」
(参考)1972年政府見解(要旨)
国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、・・・・・
ところで、政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する“自衛の措置の限界”をこえるものであって許されないとの立場にたっているが、これは次のような考え方に基づくものである。わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な“自衛の措置”をとることを禁じているとはとうてい解されない。
今回の閣議決定は、我が国を取り巻く安全保障環境の変容・変化に対応するもので、どの国も一国のみで平和をできず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している。<国際社会での役割>
政府の最も重要な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることである。 <政府の国と国民への役割>
我が国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。
我が国自身の防衛力を適切に整備、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼及び協力関係を深めることが重要である。特に、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために、日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の“抑止力”を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、我が国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。
<憲法第9条の下で許容される自衛の措置>
政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の“基本的な論理の枠内”で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。これらの活動を自衛隊が実施するに当たっては、国家安全保障会議における審議等に基づき、内閣として決定を行うこととする。こうした手続を含めて、実際に自衛隊が活動を実施できるようにするためには、根拠となる国内法が必要となる。
以上引用部が長くなったが、閣議決定は、日本を取り巻く環境(東アジア)の変容・変化に対応し、日米同盟を強化し、自衛隊の活動を強化する法整備が必要であると理解すればいい。閣議決定は、従来の憲法解釈(個別自衛権)の枠を超えていない、解釈の変更ではないことは、知る必要がある。したがって、「今後の法整備の論議で、拡大解釈されることのないように、閣議決定を守らせることが重要だ。」このことを首都大学准教授・憲法学者の木村草太氏は強調されている。国民の一人として、国民の代表者の国会論議を注視しなければならないと感じている。
私は、最初に「日本国憲法」前文・第9条[戦争の放棄]・第13条[国民の権利及び義務]を読んだ。前文は、「国民主権」「国政は、国民の信託」「世界の平和主義」を謳っている。第9条は「国際平和」「武力行使の放棄」「軍隊不保持」だ。第13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」この権利は、「立法・国政の上で、最大の尊重の必要」とある。私はこの“日本国憲法を最大に尊重”する。世界に誇れる憲法である。また、憲法は「国家権力の暴走の歯止めをかけるもの」であり、「法の法」である。戦後、日本は、憲法改正が行われていない唯一つの国である。まず、第96条(憲法改正の要件)を改正し、憲法改正を行いたいのが、保守勢力である。この部分でも、メディアは集団的自衛権と一致している。日経は非表明だが。
閣議決定の冒頭部分をそのまま引用する「我が国は、戦後一貫して日本国憲法の下で平和国家として歩んできた。“専守防衛”に徹し、他国に“脅威”を与える軍事大国とはならず、“非核三原則”を守るとの基本方針を堅持しつつ、国民の営々とした努力により経済大国として栄え、安定して豊かな国民生活を築いてきた。また、我が国は、平和国家としての立場から、国際連合憲章を遵守しながら、国際社会や国際連合を始めとする国際機関と連携し、それらの活動に積極的に寄与している、こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これを確固たるものにしなければならない」
(参考)1972年政府見解(要旨)
国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、・・・・・
ところで、政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する“自衛の措置の限界”をこえるものであって許されないとの立場にたっているが、これは次のような考え方に基づくものである。わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な“自衛の措置”をとることを禁じているとはとうてい解されない。
今回の閣議決定は、我が国を取り巻く安全保障環境の変容・変化に対応するもので、どの国も一国のみで平和をできず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している。<国際社会での役割>
政府の最も重要な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることである。 <政府の国と国民への役割>
我が国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。
我が国自身の防衛力を適切に整備、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼及び協力関係を深めることが重要である。特に、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために、日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の“抑止力”を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、我が国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。
<憲法第9条の下で許容される自衛の措置>
政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の“基本的な論理の枠内”で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。これらの活動を自衛隊が実施するに当たっては、国家安全保障会議における審議等に基づき、内閣として決定を行うこととする。こうした手続を含めて、実際に自衛隊が活動を実施できるようにするためには、根拠となる国内法が必要となる。
以上引用部が長くなったが、閣議決定は、日本を取り巻く環境(東アジア)の変容・変化に対応し、日米同盟を強化し、自衛隊の活動を強化する法整備が必要であると理解すればいい。閣議決定は、従来の憲法解釈(個別自衛権)の枠を超えていない、解釈の変更ではないことは、知る必要がある。したがって、「今後の法整備の論議で、拡大解釈されることのないように、閣議決定を守らせることが重要だ。」このことを首都大学准教授・憲法学者の木村草太氏は強調されている。国民の一人として、国民の代表者の国会論議を注視しなければならないと感じている。