私は、高校の教育の世界しか知らない。50歳位の頃、定年後のことを考えるようになったと思う。教員生活の最後の場所へ転任して、そこで定年になり、その後数年非常勤講師で勤めればいいくらいに考えていた。退職後のことは、漠然としかイメージできなかった。その頃、趣味として夢中にやっていたことは、ボーリングだった。大会に出て良い成績を残したかった。そのためにもよく練習したし、お金もかかったが。大会は、普通3ゲーム戦でそのトータルで順位を競った。大会で優勝したこともある。その頃3ゲームトータルで700点を超えたのが最高点である、3ゲームのアベレージで235点だ。アマチュアボウラーの目安は、1ゲームのスコアは200点、3ゲームで600点だ。ここを超えないと上位の争いはできない。調子の悪い時は、俗に4のじと言って400点台のことを意味する。このボーリングは、2009年5月末の大会を最後に引退した。それは前立腺炎をこじらせて1週間入院したためだ。別の趣味に囲碁があるが、対戦する人が周りにいなかった。またもう一つの趣味は麻雀だが、45歳を境にめっきり減少した。職場の同僚と麻雀する機会がなくなったからだが、ここにも社会変化と職場の人間関係の変化が表れている。その麻雀も前任校の同僚と年数回で今日まで続いてきた。そのメンバーとは6人で遊んだので、「六遊会」と称した。平成2年から、3月末に宿泊が定例化して、韮山の民宿旅館が定宿になり、ほぼ20年間続いた。その間に高齢化に伴う病気のために、2人のメンバーが抜け、年賀状のやり取りだけになっている。その後も4人で麻雀をやったが、回数が減っていった。一つには、万年幹事役が私より9歳若く現役の教員で多忙になっていることもあるが、大きな理由は、私の体調が原因になっていることは確かだ。
話しはもどるが、退職したら、三つの趣味があれば大丈夫だろうと考えていた。しかし、2003年に副鼻空炎(蓄膿症)にかかってから状況が大きく変化した。この頃に仲のいい同僚Eさんに教わってインターネットで囲碁(ネット碁)をやるようになり、今でも続いている。Eさんの助けがなかったら、ネット碁の世界には入っていない。耳鼻科に通院したが回復せず、長岡の順天堂大学病院を紹介され、その検査の結果、手術をすることになった。定年前の2007年10月のことである。その後今まで完治しないまま来ている。手術後、1年半の間、月に1回順天堂に通院していたが、主治医に問題ないとの最終診断を下された。私は、問題を抱えたまま医師に見放された。ともかく頭痛がして、頭がぼーっとしてすっきりしない。それだけならまだ我慢ができるが、精神的にまいってしまった。ともかく気力が出てこないで何もする気になれなかった。脳神経外科の頭痛外来に行き,その医師のクリニックに四カ月通って、投薬治療を受けた。その頃に後輩のF君に送った電子メール(2010年1月下旬)が残っていた。それを記しておく。
「どうですか?僕は夏休みの終わる頃から調子が落ちてきて、ずっと苦しんでいた。現在、沼津の頭痛外来クリニック(脳神経外科)に通院してほぼ四カ月になる。副鼻腔炎の再発との診断であった。二ヶ月間出された抗生物質が効かないために、二か月前に、抗生物質を変えてもらい、やっと効き目が出てきたようだ。半月前ぐらいから上向きになってきたので、生き返った心境です。今は自分らしさを取り戻しつつある。やっと話しができるようになり、最近は、話し続けている状態です。楽しむことを忘れていた人間が楽しめるようになってきた。“私の人生の記憶”と題して文章を書き始めている。幼少の頃から高校時代のことまで書いた。それを印刷して、教えている生徒に渡して、よければ読んでくれるように言っている。生徒には好評のようだ。生徒とのコミュニケーションが取れてきていると感じている。自信を失いかけ、一時は教員を辞めなくてはとまで考えたが、今は自信が蘇ってきている。できれば来年度も残りたいとの気持ちは、校長に伝えたが、どうなるかわからないが、教壇には立っていたいと思っている。」これは、2010年の1月中頃のことだ。2月の上旬に、妻の実家に行く途中で、鎌倉により、ビーフヒチューで有名な北鎌倉の店で昼食をとり、鎌倉駅まで散策した3時間がとても楽しかったことをよく覚えている。このことを文章にも書いてある。この状態が3月の中頃から悪化していった。そのことを医師に話したら、CT検査を行い、診断の結果、私の投薬治療の限界だから、耳鼻科に行くように言われた。地元の耳鼻科に通ってみたが、状態は変わらない、そこで沼津市立病院に行ってみたが、耳鼻科的には問題はない、精神的なものではないかと言われ、沼津の診療内科に通院した。医師の診断は、軽度のうつ病で、処方箋が出された。2010年の6月のことだ。
それから今年(2014年)の3月まで通院していたが、医師に相談し薬もやめ通院もやめた。いろいろ小さな波はあるが、悪い状態の波が大きく、いい状態の波が短い。深い話しができ、文章化できるのは、昨年の3月中頃から4月の下旬以来である。悪い状態の時の時間つぶしは、ネット碁だった。買い物以外は家から外にはあまり出ていない。
 理由はわからないが、8月の始めから、昨年の3月中頃から4月の下旬の時と同じような状態になっている。8月3日の投稿文を見てから、自分の意見も発信したいと思った。翌日に投稿した文が8月10日の毎日新聞「みんなの広場」に掲載された。次男の帰省で、ブログの立ち上げ方を教わり、自分の人生の歩みや考えをブログに載せて発信していこうと思うようになった。
元の同僚とも話したことや感じたことを加えてブログに載せている。誰にも読まれないかもしれないが、文章化したことをブログに載せていく。そこに一つの居場所を求めているのだ。昨日は大学時代の親友と連絡をとって、読んでほしいと伝えた。3人から連絡をもらった。嬉しいことだ。私の身近な人にアドレスを知らせている。実際には、このブログは、私の備忘録になっているかもしれない。しかし、これからも体調が許す限り、更新していきたい。