7年前(平成19年)、定年になる前に、再任用希望理由で書いた文に、訂正し加筆した文とのことわりを冒頭に記したい。
昭和45年(1970年)に、大学を卒業したばかりの未熟な一人の青年が、「先生」と呼ばれることに不思議な戸惑いを感じながらスタートした教員生活は、平成20年(2008年)に定年になり、4年間の再任用教員を経て、平成24年(2012年)に退職した。
最初の赴任校である下田南高校定時制では、働きながら学ぶ生徒と出会い、自分の過去の経験や生育環境との違いにギャップを感じ、悩みながら教壇に立ち、試行錯誤で生徒と関わった。その貴重な経験が、教師生活の基盤になった。新卒で2年生の担任を持たされ、最初の2年間は、さまざまな面で苦しみ悩んだ期間であった。徐々にではあるが、3年目頃から生徒との気持ちが通じ合ってきていることを肌で感じることができ、その生徒たちを卒業させることができた喜びは、何物にもかえ難いものであった。「自分らしく正直に」本音で生徒に語り、生徒のことを理解するように努力したことが、報われたとの思いとともに、教員としてやっていく自信がついたと言える。この5年間の定時制生活は、私の教師としての財産となっている。現在は、下田高校として統合され、学校の敷地は、病院になっている。
2校目は、吉原高校・女子高であった。ここでは、進学に対応できる授業が求められた。この点が、私の定時制における将来の不安材料であった。この不安を解消するために、教材研究に力を入れる良い期間になったと思っている。また女子生徒の指導にあたっては、デリケートさが求められることを実感したと言える。女子高では、嫌われたら指導は成り立たないということである。外からはうかがい知れない女子生徒の一面を知ることができたが、良い生徒に恵まれた7年間であった。現在は、男女共学の普通高校になっている。
3校目は、普通科と商業科の併設校であった三島南高校である。普通科はすべて男子、商業科はほとんど女子という構成であった。ある意味で特殊な学校と言えるし、外部からの評判も悪かった。転勤の際に、前任校の先生に同情される程であった。普通科の男子は、元気がよすぎるためか、様々な問題を起こし、生徒指導に追われる日々であった。教員の力量が試され、本気で立ち向かっていかないと、なめられて授業が成り立たない状況であった。普通科・商業科の両方の担任を経験し、また男子だけの普通科最後の生徒の担任をしたことが懐かしい思い出である。世話をやかせた生徒が、私の離任式に花束を持ってきてくれたことが印象深い。大変ではあったが、楽しい10年間でもあった。現在は、校舎が移転し、単位制の総合高校になっている。
4校目は、実業高校の御殿場高校である。途中で学科改編されて、情報システム・情報ビジネス・情報デザインになった。この学校ではじめて工業系の教員及び生徒と接することになったが、それまでとは違う経験をした印象が強い。私の担当教科である英語に意欲・関心が低い生徒が多くいたので、教科指導の工夫が求められたと言える。7年間在職したが、ゆったりとした時間を過ごせた。
5校目は、御殿場南高校である。この学校は、県が違うが、私の卒業高校と創立が同じであり、赴任を希望していた学校である。私にとっては、母校に代わる思い入れのある学校でもある。生徒の質も良く教えやすい生徒たちであった。特に、2002年度から2006年度まで教えた生徒は、私の思い出として強く残っている。良い生徒に恵まれ、その生徒たちと人間的な関わりがもてたことが嬉しいというのが素直な気持ちである。また、教員が“天職”と感じた時期でもある。充実した楽しい時間を過ごした。今は、懐かしく思い起こされる。ここで実質的な意味では、教員生活の終わりとも思える。その1年後に、定年になり、再任用教員として、週20時間勤務で、1年間御殿場南高校に残り、次の3年間は沼津城北高校へ移動して、再任用終了とともに、私の教員生活を終え、退職した。この時点では、健康上限界に達していた。そうでなければ、非常勤講師として勤めていたように思う。しかし、退職後に、英語教育の状況が大きく変化し、英語の授業が変わっている。旧来の英語の授業では無理になっている。その意味では、潮時だったと言えるかもしれない。
私の教員生活で共通して言えることは、生徒との関わりが楽しかったということである。
私は、生徒と話すことが好きであり、本当に楽しく過ごすことができた教員生活だと感じている。次の句は2005年に私の気持ちを表現したものである。
言(こと)の葉(は)に返してくれる君の顔
心豊かな触れ合いの時間(とき)
私の教員生活のテーマは「人としての信頼」である。信頼関係の構築こそ、教育の命であると信じている。その基本は授業にあると思っている。授業を通じて、生徒に良い刺激・影響を与え、学力向上へのサポートと一人の人間としての生き方を伝えたいとの願いでやってきたことが、私の教員生活である。
昭和45年(1970年)に、大学を卒業したばかりの未熟な一人の青年が、「先生」と呼ばれることに不思議な戸惑いを感じながらスタートした教員生活は、平成20年(2008年)に定年になり、4年間の再任用教員を経て、平成24年(2012年)に退職した。
最初の赴任校である下田南高校定時制では、働きながら学ぶ生徒と出会い、自分の過去の経験や生育環境との違いにギャップを感じ、悩みながら教壇に立ち、試行錯誤で生徒と関わった。その貴重な経験が、教師生活の基盤になった。新卒で2年生の担任を持たされ、最初の2年間は、さまざまな面で苦しみ悩んだ期間であった。徐々にではあるが、3年目頃から生徒との気持ちが通じ合ってきていることを肌で感じることができ、その生徒たちを卒業させることができた喜びは、何物にもかえ難いものであった。「自分らしく正直に」本音で生徒に語り、生徒のことを理解するように努力したことが、報われたとの思いとともに、教員としてやっていく自信がついたと言える。この5年間の定時制生活は、私の教師としての財産となっている。現在は、下田高校として統合され、学校の敷地は、病院になっている。
2校目は、吉原高校・女子高であった。ここでは、進学に対応できる授業が求められた。この点が、私の定時制における将来の不安材料であった。この不安を解消するために、教材研究に力を入れる良い期間になったと思っている。また女子生徒の指導にあたっては、デリケートさが求められることを実感したと言える。女子高では、嫌われたら指導は成り立たないということである。外からはうかがい知れない女子生徒の一面を知ることができたが、良い生徒に恵まれた7年間であった。現在は、男女共学の普通高校になっている。
3校目は、普通科と商業科の併設校であった三島南高校である。普通科はすべて男子、商業科はほとんど女子という構成であった。ある意味で特殊な学校と言えるし、外部からの評判も悪かった。転勤の際に、前任校の先生に同情される程であった。普通科の男子は、元気がよすぎるためか、様々な問題を起こし、生徒指導に追われる日々であった。教員の力量が試され、本気で立ち向かっていかないと、なめられて授業が成り立たない状況であった。普通科・商業科の両方の担任を経験し、また男子だけの普通科最後の生徒の担任をしたことが懐かしい思い出である。世話をやかせた生徒が、私の離任式に花束を持ってきてくれたことが印象深い。大変ではあったが、楽しい10年間でもあった。現在は、校舎が移転し、単位制の総合高校になっている。
4校目は、実業高校の御殿場高校である。途中で学科改編されて、情報システム・情報ビジネス・情報デザインになった。この学校ではじめて工業系の教員及び生徒と接することになったが、それまでとは違う経験をした印象が強い。私の担当教科である英語に意欲・関心が低い生徒が多くいたので、教科指導の工夫が求められたと言える。7年間在職したが、ゆったりとした時間を過ごせた。
5校目は、御殿場南高校である。この学校は、県が違うが、私の卒業高校と創立が同じであり、赴任を希望していた学校である。私にとっては、母校に代わる思い入れのある学校でもある。生徒の質も良く教えやすい生徒たちであった。特に、2002年度から2006年度まで教えた生徒は、私の思い出として強く残っている。良い生徒に恵まれ、その生徒たちと人間的な関わりがもてたことが嬉しいというのが素直な気持ちである。また、教員が“天職”と感じた時期でもある。充実した楽しい時間を過ごした。今は、懐かしく思い起こされる。ここで実質的な意味では、教員生活の終わりとも思える。その1年後に、定年になり、再任用教員として、週20時間勤務で、1年間御殿場南高校に残り、次の3年間は沼津城北高校へ移動して、再任用終了とともに、私の教員生活を終え、退職した。この時点では、健康上限界に達していた。そうでなければ、非常勤講師として勤めていたように思う。しかし、退職後に、英語教育の状況が大きく変化し、英語の授業が変わっている。旧来の英語の授業では無理になっている。その意味では、潮時だったと言えるかもしれない。
私の教員生活で共通して言えることは、生徒との関わりが楽しかったということである。
私は、生徒と話すことが好きであり、本当に楽しく過ごすことができた教員生活だと感じている。次の句は2005年に私の気持ちを表現したものである。
言(こと)の葉(は)に返してくれる君の顔
心豊かな触れ合いの時間(とき)
私の教員生活のテーマは「人としての信頼」である。信頼関係の構築こそ、教育の命であると信じている。その基本は授業にあると思っている。授業を通じて、生徒に良い刺激・影響を与え、学力向上へのサポートと一人の人間としての生き方を伝えたいとの願いでやってきたことが、私の教員生活である。