私は、OさんのことをF君と呼んでいる。F君とは、彼の独身時代からの付き合いのためである。彼との出会いは、お互いの初任校である下田南高校定時制である。私の2年後輩の教員だ。40年を超える付き合いになる。彼とは、他の2人を含めて、私が住んだ教員住宅で、麻雀をした記憶が残っている。その後、私は転任した学校で、麻雀を通じて同僚との人間関係を築いてきたが、彼の歩みは違う。彼は、理科の教員で、関心の領域は、当然私とは違う。彼の趣味は、蝶の収集、バードウオッチング、テニスと聞いている。私と共通する趣味はない。私が一時期テニスをしていたことがある。その時に、一緒にテニスをしたことはある。一度だけ、彼の蝶の収集で、信州へ同行したことは、記憶に残っている。今では、私たちが一緒に過ごした下田南高校はなくなり、跡地は病院になっている。時の流れを感じている。彼とは、だいたい年に一回は会っているが、夏の場合が多い。
 私は、退職して2年が過ぎた。F君は、この4月から、非常勤講師で勤めている。ここ数年の話題の中心は、健康問題である。私の場合は、2003年に副鼻空炎にかかり、2007年に手術をしたが、完治しないまま、現在に至っている。その間、脳神経外科や診療内科にも通院したが、結果は変わらない。頭が重く、すっきりしたことはない。状態には、波があり、悪い状態の期間が長く、良い状態はずっと短い。今の状態に近いのは、およそ1年半前である。悪い状態の時には、話し好きの私が、話しができなくなる、もちろん、文章を書くことはできない。この8月になって状態が上向き、話しができるようになり、このように文章化できるようになっているが、頭はすっきりしてはいない。
 F君は、腰痛で苦しんでいる。ヘルニア、脊椎狭窄症との診断を受け、歩行しているとだんだん足が痺れたり痛くなり、休むと回復するのが特徴と言っている。同じ姿勢でいることができなく、間にストレッチをしている。長い歩行が困難だが、その距離を少しずつ伸ばすように努力しているとのことだ。私の経験にはないので、実感としてはわからないが。趣味のテニスを2年していないと言っている。好きなことができないことは、本当に辛いことだ。若い時には、想像していなかったことが、二人にも起こっている。年を取ると様々な病気を抱えるようになる。それが避けられない現実である。私の趣味である囲碁で、吉原高校OB囲碁会は、30年以上続いている。その会は、年一回が定例化し、場所(芝川苑)と6月第4土曜日が定着してからも15年は経過している。私の定年前には、毎年15~16人が集まっていたが、この数年で、5人が亡くなっている。そこでも健康問題が話題になる。話しはそれたが、今日のF君との話題の中心は、当然お互いの健康状態のことである。病気と心の関係の話しにもなった。一般に、「病は気から」との言葉があるが、やはり精神的な部分が大切と感じ合っている。二人とも、問題に直面して、ネガティブな受け止め方をする傾向のタイプである。ポジティブ思考の人はうらやましいが、性格は変わらない。できるだけ前向きに考えていくしかない。この考えは、F君と
共通している。
私は、家庭以外の居場所を求めている。働くことは、一つの居場所である。私は、大学時代の親友にも、働ける間は、働いた方がいいと言っている。これは、この2年間の私の実感である。現在の私にとって、話しをし、そのことを文章化することは、一つの居場所だと、“今”感じている。誰にも読んでもらえないかもしれないブログを立ち上げたのも、居場所求めてのことだ。
人は、他の人に知ってもらいたいとの欲求を持っている。人は、一人では生きてはいけない。「人と人の間に生きるのが人間」だと思う。それ故に、関係が大事なのだ。この考え方が、2日間話しをしたIさんには欠けている。人間関係を絶ってきた人には、この点がわからない。人間を学問では理解できない。あるエッセイストが、恋愛のことで、相談を受け、それに答えた言葉の記事が、私の目に入った。恋愛は理屈ではない。的確な表現だ。その人は、大学で学問を学ばなかったが、恋愛は、学問と同じように奥が深いと。「人間は感情の動物」だと私は思っている。Iさんは、とても頭のいい人だが、孤独であり、愛情を知らない。孤独は寂しいことだ。