一年ぶりに、妻と映画を見に行くことに。

 あらすじを引用する。「タクシー運転手の宇佐美浩二は、85歳の高野すみれを東京・柴又から神奈川県の葉山にある高齢者施設まで送ることになった。すみれの『東京の見納めに、いくつか寄ってみたいところがある』という頼みを受けた宇佐美は、すみれの指示で各地へタクシーを走らせる。旅を共にするうち、次第に心を許したすみれから語られたのは、彼女の意外な過去だった。タクシーの運転手と客として偶然出会った二人の心、そして人生が大きく動き始める。」高野すみれ役に倍賞千恵子(84)、宇佐美浩二役に木村拓哉(53)が演じ、若き日のすみれ役を蒼井優が演じる。山田洋二監督(94)の作品。

 映画を見終わった時、映画の上映時間を短く感じた。また、倍賞千恵子の綺麗な歌声に感心した。倍賞千恵子の等身大の演技が強く印象に残る。

 車窓からは、東京の名所が映し出される。語られたすみれの過去は、壮絶な事実だった。初恋の韓国人が帰国してから、私生児の男の子が生まれた。戦後の貧しい日本が高度成長へと向かう時代背景が映し出される。すみれは、親の店で働きながら、子育てをする。彼女は、二度目の恋をして結婚するが、その人生が壮絶だった。ある時に、夫の我が子への虐待を知る。子どもは、すみれには黙っていたが。

 昭和の男社会では、少なからず女性は、我慢と辛抱を余儀なくさせられた時代だと言える。女性の自立が許されない「男尊女卑社会」と言っても言い過ぎとは言えないだろう。1960年後半から1970年代にかけてアメリカで始まり世界的に広がった女性解放運動がウーマンリブだった。日本では、アメリカの運動に触発され1970年代から活発化した。私のような団塊世代では、女性の大学への進学率は低く、良妻賢母が女性らしさの象徴との価値観が存続していた。その価値観が崩壊してからそれ程の時間は経過してはいない。

 すみれの時代では、DVは社会問題にはなってはいなかったと言える。現在は、○○ハラスメントが社会問題になっているが、行き過ぎの感もぬぐいされない。

 すみれは、夫のDVに耐えられなくなり、夫の腹部へと熱湯をかけてしまう。そのために、傷害罪で服役することになった。服役中に子どもの死を知らせされ、悲しみのどん底へと落とされた。出所後、アメリカへ行きネイルアートの仕事に就いたが、詳細は語られてはいない。金持ちのマダムとの設定から、その世界では成功者と言える。

 横浜元町のレストランで、二人で食事し、恋人のように街を歩く場面が印象的だ。すみれにとって、人生最後の喜びの時間となる。二人の関係は異なるが、「ローマの休日」と重なってくる。

 葉山の高齢者施設へと送った時に、浩二は妻子を連れて来ることを約束して別れる。一週間後に訪れた時に、すみれの死を知らされる。すみれから浩二へ感謝の手紙が残されていた。その手紙が遺言書になっている。すみれの財産を浩二へ贈与する内容になっている。

 「死を迎えるとは何か」を考えさせられる映画だと感じている。