こんにちは。ゴボウ男子ですお父さんキラキラ


結婚から6年が経過した今となっても、
夫婦喧嘩というのは

なかなか減らないものですが、

 


中でも

 

喧嘩が長期化してしまう
『押してはならないスイッチ』

 

の存在を、最近ようやく発見しました。




それは、


「なんでこんな些細なことで

いちいち怒るの?」


という発言です。





神経質で、気づいたことは

何でもチクチク言う妻に対し、


その指摘を素直に聞き入れることが

できない時があり、


「元は他人同士が一つ屋根の下で

暮らしているんだから、
価値観の相違からくる

不快や不都合の

一つや二つはあるだろう。


それをいちいち目くじら立てて

自分が快適になるように
相手が変わるべきだと

要求するのは高望みだ。


お互い妥協できるところは譲り合って、
円滑に運営できるように歩み寄るのが
家族としての望ましい態度

なんじゃないの?」
 

 

という(もっともらしい)趣旨の

反論をしてしまうことがあるのです。




そんな私に対し、

「これでも読んで頭を冷やしなさい」

と妻が差し出したのが

以下の記事でした。

「夫婦と子の家族」は今や3割弱しかいない現実

特によく読むよう推奨されたのが

記事の後半、4ページ目の、
「■家族とはいったい何か」
という見出し以降の部分です。

 

 

 

 

私はこの記事を読み、
妻が伝えたかったであろうこと

こんな風に想像しました。

 


「家族のために

個人があるのではなくて、
個人のために家族という

組織があるのだ」

「経済的に充足し、

精神的な豊かさや

自由を得られることを目的として

家族を組織したのだから、


その目的と関係ない理由で

不自由を強いられる

意味が分からない」

「もちろんある程度

妥協し合うことも大切だが、

 

家族という『箱』を維持したいがために、
構成メンバーが無理をし、我慢し、
犠牲になることが当然だとするのならば、
そんな組織に一体何の意味があるのか」





そして、そのメッセージを受け止め、
私は目から鱗の落ちる思いがしました。



妻は

気になる点があったら

ざっくばらんに共有して

お互いが気持ちよく過ごせるよう

家庭環境を改善して維持していこう

 

と考えている一方で、

 

 

自分は

気になる点があってもお互いに我慢して

指摘や喧嘩を最小限にすることで

快適な環境を維持していこう

 

と考え、

 

家族を維持したければ

たとえ何か嫌だと思っても

言うべきではない

 

と妻に圧力をかけていたのです。






パートナーとの

幸せな人生を実現するために
家族という『箱』を設けた

はずなのに、


いつのまにか

『箱』の維持が目的化して、
パートナーの自由を制約し、

不幸せにするような

態度を取っていました。




仕事では

会社という『箱』の都合による

さまざまな制約や束縛には

過敏に反応する私も、

 


いざ

家族という『箱』の運営者

の立場になると、


その維持に躍起になってしまう

ものなのだなと反省ですえーん汗



妻からのダメ出しは、
自分に不満を持っている

という表明なので、

心にこたえます。


一方で、

 

妻が私に

何の気兼ねも遠慮も容赦もなく

ダメ出しをできている状態

というのは、


家族に束縛感を

覚えていない

 

ということの証拠でもありますひらめき電球


そう捉えることで

自分への指摘にも寛容になり、
歓迎できるのではないかと思っています。



同じことで

何度も怒らせることのないように

気をつけつつも、


「家族だから○○すべき」

という鎖にメンバーを

縛り付けるのではなく、

 

「家族とは皆が集まる

手段の一つに過ぎない」

 

ということを心に刻み、

 

 

まずは

 

妻の指摘への耐性をつけようと

心に誓うゴボウでした笑い泣き

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