WHAT IFシリーズ④ カルロス・モンソンvsマービン・ハグラー | Go↑kunの海外ボクシング記♪

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パッキャオvsマルガリートWEEKに続いて…マルティネス一色ですねぇ!!
でも凄いパンチだったな…。相手を見てませんよね?フェイントかかって、
カウンターで…ズドン…。そしてウィリアムスの倒れ方が又、頭から前のめり…。
本当、衝撃的なKOでした…。ポール・ウィリアムスのインタビューあれば、
すぐUPしますね。

さぁ…今日は久々に『WHAT IF…』シリーズを書こうと思います~^^
勿論、今回もフランク・ロティエルゾさんの記事になりますが…
今までの3回を振り返ると…ハーンズvsトリニダードで、ハーンズの勝ち、
レナードvsデラ・ホーヤでレナードの勝ち、そしてホームズvsルイスでホームズの勝ち、
そうなんです。昔の選手が必ず勝ってるんですねぇ(笑)

しかし今回はとても興味深そうですねぇ!モンソンvsハグラー!!!
正に70年代に無敵だったミドル級王者のモンソン、そして80年代無敵だったのがハグラー!!
今までの法則からすると、モンソンが勝つのかも知れませんが、
何せ、あのマーベラスが相手ですし…。とにかくどうぞ~:

【以下ニュアンス訳】
もしこちら側のコーナーにアルゼンチン出身で70年代のミドル級王者、カルロス・モンソン(1970年11月7日~1977年7月30日)、そしてあちら側に米国ニュージャージー出身で80年代のミドル級王者、マービン・ハグラー(1980年9月27日~1987年4月6日)がいて向かい合ってたら…。モンソンとハグラーがお互いの全盛期に激突していたらどれだけ最高だったか。私がもしタイムマシーンに乗って時代を行き来出来、対戦相手を自由に選べたとしたら確実に観たい一戦の一つだ。モンソンもハグラーも、誰の史上最強ミドル級トップ5リストに必ず入ってくる程のファイターであるからだ。

モンソンのキャリアは決して注目される形でスタートしたわけではなかった。20年に渡るプロボクサーのキャリアの最初の2年で3度の判定負けを喫している。もっともその3敗した相手には、ミドル級タイトルを獲得する前に全てリベンジしている。それどころか3敗した内の1人は2度倒しているし、もう1人は3度倒している。アルゼンチン、そして南米のミドル級タイトルは保持していたものの、ローマで世界王者だったニノ・ベンベニュティに挑戦する時はまだ無名の選手と言えた。

ハグラーのキャリアの始まりはモンソンのそれより少しだけマシだったと思う。ハグラーも生涯3度しか負けていないが、最初の29戦で2度負けている。3敗目は現役最後の試合で喫したものだ。ハグラーがミドル級王者にチャレンジする時、彼は既にトップコンテンダーとして何人かのランカーからは対戦を避けられる程のファイターに成り上がっていた。

他の多くの偉大な王者もそうであったが、モンソンとハグラーには驚く程多くの共通点がある。彼らは2人とも15度のミドル級タイトルマッチを行い、キャリアにおいて10年以上無敗の時期があった。モンソンは1964年10月~1977年7月まで無敗で14度の防衛を果たしていたが、ハグラーも1976年5月~1987年4月まで無敗で12度の防衛を果たしている。モンソンは70年代最高のミドル級であり、ハグラーは80年代最高のミドル級なのだ。防衛回数においてもモンソンはミドル級2位、ハグラーは3位だ。(1位はホプキンス)驚くべき情報として、モンソンはキャリア最後の5年間(1972年~1977年)に8度の防衛を重ねているが、左肩に銃で撃たれた玉が入ったまま戦っていたことだ。元奥さんとの口論の末、前腕と左肩を打たれた経験があったのだ。

モンソン、そしてハグラーは、豊富なタレントがたくさんいた時代のミドル級王者だ。モンソンは5人の世界王者を倒している。(ニノ・ベンベニュティ×2回、エミレ・グリフィス×2回、デニー・モイヤー、ホセ・ナポレス、そしてロドリゴ・バルデス×2回)ハグラーは4人だ。(ビトー・アントゥオフェルモ、アラン・ミンター、ロベルト・デュラン、そしてトミー・ハーンズ)両者の対戦相手を見てみても、どちらが優れていたかを決めるのはとても難しい。よって私は2つのカテゴリーに分けることにした。プロデビューから初めてのタイトル戦までは、恐らくハグラーの方が質の高い対戦相手と試合をしていただろう。しかし王者としては、モンソンが若干上か。ベンベニュティを2度、グリフィスを2度、ブリスコー、ナポレス、そしてバルデスを2度、これらを相手に8戦全勝というのは凄い。但しハグラーも3人の偉大な王者と対戦しているのから難しい。言わずと知れたデュラン、ハーンズ、そしてレナード。ここを2勝1敗で終えている。

2人のミドル級タイトルマッチを見てみる。

モンソン
① ベンベニュティ 12RKO勝ち
② ベンベニュティ 3RKO勝ち
③ グリフィス 14RKO勝ち
④ モイヤー 5RKO勝ち
⑤ ボッティアー 13RKO勝ち
⑥ ボッグス 5RKO勝ち
⑦ ブリスコー 15R判定勝ち
⑧ グリフィス 15R判定勝ち
⑨ ボッティアー 15R判定勝ち
⑩ ナポレス 7RKO勝ち
⑪ ムンディン 7RKO勝ち
⑫ リカタ 10RKO勝ち
⑬ トナ 5RKO勝ち
⑭ バルデス 15R判定勝ち
⑮ バルデス 15R判定勝ち
15戦15勝10KO

ハグラー
① アントゥオフェルモ 15Rドロー
② ミンター 3RKO勝ち
③ オベルメジアス 8RKO勝ち
④ アントゥオフェルモ 5RKO勝ち
⑤ ハンショ 11RKO勝ち
⑥ リー 1RKO勝ち
⑦ オベルメジアス 5RKO勝ち
⑧ シブソン 6RKO勝ち
⑨ シプション 4RKO勝ち
⑩ デュラン 15R判定勝ち
⑪ ロルダン 10RKO勝ち
⑫ ハンショ 3RKO勝ち
⑬ ハーンズ 3RKO勝ち
⑭ ムガビ 11RKO勝ち
⑮ レナード 12R判定負け
15戦13勝12KO1敗1分

2人の偉大な王者には異なる点もあった。特にリング外でのパーソナリティは正反対だったと言えるだろう。モンソンのボクシングスタイルは派手なものではなかったが、彼のボクシング以外の私生活は、鮮やかな程に派手で、自惚れ過ぎだと非難される程だった。モンソンの私生活に速いスポーツカー、そして女性は付き物だ。(当時結婚していたのにも関わらずだ。)お洒落な洋服を着飾り、夜の街へ繰り出てはお酒を飲み、煙草を吸った。彼と仲が良かった人達は口を揃えて、何故あれでボクシングが強いのかと言った。試合前の練習といえば、1ヶ月前からのロードワークのみだ。モンソンはスパーリングすら全くやらなかったと言われている。モンソンが王者だった時代、南米の新聞のスポーツ紙に登場する回数と同じ位、ゴシップ紙を賑わせていた。

ハグラーは、リング外でもスパルタ式で有名だった。夜の街へ繰り出るどころか、夜は早く床に就くのが好きだった。引退後離婚はしたが、現役時代はずっと奥さんと過ごした。ハグラーは自分の身体を徹底的に管理した。試合が無い時でも週3回はロードワークに出た。トレーニングキャンプに入ると几帳面にスケジュールをこなし、外部との接触を徹底的に断った。長く王者だった時代、彼の名前はスポーツ紙のボクシング欄以外では発見出来なかった。

具体的なボクシングスタイルはどうだったか。彼ら2人のスタイルはここでも反対だったと言えるかも知れない。全体的な攻撃のコンセプトは異なっていたと思うが、似た点も多くあっただろう。調整能力、そしてペース設定だ。モンソンもハグラーも対戦相手との試合の中で、戦術的に優れた方向へ調整する能力に長けていた。ハグラーはスタイルに合わせるのは上手かったが、モンソン程、相手の穴を見付けるのは得意ではなかったかも知れない。ハグラーが最も調整能力を発揮したのは、リマッチの時だろう。見事に調整して適応して見せた。両者ともカウンターパンチャーとしても知られているが、モンソンは自分から追いかけることを好み、ハグラーは相手を呼び寄せてのカウンターが上手かった。ハグラーはサウスポーだったが、右にチェンジして戦うことも上手かった。両者ともリング上では恐れ知らず、そして相手を仕留める殺傷本能を持っていた。グリフィンはモンソンをMr. Nastyと呼び、アンジェロ・ダンディは『モンソンの血管には冷たい水が流れているに違いない』と語った。ハグラーは試合でのモットーが『Destruct and Destroy』(とにかく破壊する)だった。特に大きな試合の際には戦争にでも行くかの様な覚悟を持って戦っていたのだ。

モンソンは180cmと長身でリーチも長かったが、ハグラーも180cmには足りないものの177cm程度、そして身長の割には長いリーチを持っていた。モンソンのジャブは階級随一だっただろう。ジャブを突き、対戦相手を混乱させてから強烈で正確な右を打ち込むスタイルだった。彼の対戦相手は口を揃えてジャブが有効だったと言った。ジャブが強く中に入ることが出来なかったのだ。モンソンはメンタルもタフであり、自分の能力に100%自信を持っており、勝利を疑うことなく戦っていたのだろう。ハグラーのメンタルタフネスも相当だ。常に何かを証明する為に強い意志を持って戦っていた様に感じる。モンソンと同様に素晴らしいジャブを持っており、それに続くのが強烈な右フックだった。左ストレートはそんなに強くなかったが、スイッチした時にジャブとして用いられるそれは効果的だったし、右フックの前に使うのも有効だった。一番印象深いコンビネーションはワンツーから右フックを返すオーソドックスなものだった。モンソンもハグラーもKO勝ちは多かったが、KOアーチストと呼ばれることはなかったと思う。

単純にパンチャーとして比較するなら、モンソンの方が両拳共に上だったのではないか。右にパンチは両者とも素晴らしかった。(モンソンはストレート、ハグラーはフック)しかしモンソンの左フックに比べるとハグラーの左ストレートは落ちるだろう。顎の強さも両者半端ではなく、カットした試合も覚えているのは1試合だけだ。(モンソンはボッグス戦、ハグラーはハーンズ戦)どちらが強いパンチを受けたことがあるのだろうか。これはとても難しい疑問だ。ダウン経験はお互い1回ずつ。ハグラーはロルダン戦でダウンの記録があるがスリップかプッシュに見えるし、モンソンはキャリア最後の試合のバルデス戦で喫しているが既に35歳だった。選ぶならハグラーか。ハグラーが本当に効いたのは一度も観たことがない、モンソンは一度だけ膝が揺れたのを観た記憶があるからだ。

ではどちらが勝つ?

今回は本当に難しい。理由は両者とも自分の戦い方が出来そうだからだ。モンソンはペースを測りながら前進するだろうし、ハグラーは若干下がりながらカウンターを狙う。両者とも顎が強くワンパンチKOアーチストではないと思う為、判定決着が濃厚だと思う。その為、どちらが戦術的なアドバンテージを取れるかで勝敗が決するのではないか。カギとなりそうなのは、モンソンの長く強い左のジャブだ。アウトサイドから効果的に打つことが出来れば、ハグラーの右フックの距離ではなくペースを握りそうだ。ハグラーが強引に入ろうとすれば、モンソン得意の右クロスが襲うだろう。それに皮膚の強さも若干モンソンが上だと思う。カットしやすいのは恐らくハグラーだろう。

しかしハグラーが優位になる展開も見えてくるから厄介だ。ハグラーが序盤から積極的に出てジャブをかいくぐりボディ打ちを効果的に使えれば徐々にダメージを与え、後半明確にポイントを取れるかも知れない。とにかく両者が全盛期で最高のコンディションで戦うなら、モンソンが僅差の判定をモノにするのではないか。ミドル級史上で唯一、全てのカテゴリーでハグラーと互角、そしてサイズで上回り、スタイル的に勝てそうなのは逆に言うとモンソンしかいないのだ。

この試合は本当に分からなかった。どちらに勝負が転ぶにせよ、接戦になる以外、ちょっと考えられない。一方的になるとは思えないのだ。どんな状況になってもお互い必ず調整し適応し良い勝負になりそうだ。それ位レジェンドなのだ。

以上

又してもより古い時代の選手が勝ちましたねぇ~^^
しかし本当に伝説的王者同士、しかも70年代と80年代で正に無敵だったミドル級チャンプ。
面白いですねぇ。モンソンの豪快っぷりは凄まじい…。1ヶ月のロードワークだけって…(笑)
しかも左肩に銃弾がありながら、5年無敗8度防衛って…凄過ぎですね…。

男前のモンソン!爽やかな笑顔、そして無敵の王者、モテますわなぁ…。
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生涯戦績は87勝59KO3敗9分1NC

最強チャンピオンだったモンソンですが、印象が強いのはやはりリング外…。
引退して10年以上経った1988年、2人目の奥さんを殺した容疑で逮捕…。
家庭内暴力が凄かった様です。そして1995年、一時休暇で牢獄から出ている際に、
車の事故で自らの命も失うという波乱万丈の人生。

エドウィン・バレロの悲劇を聞いた時、真っ先にモンソンが浮かんだんですよねぇ…。

ニーノ・ベンベニュティ戦

モンソンは本当に身体能力高そうですよねぇ…。右が伸びるし。

ホセ・ナポレス戦

ウェルター級の猛者、ナポレスも歯が立たず…。

こちらはより男臭いハグラー。
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戦績は62勝52KO3敗2分。凄まじいですよね!

ハグラーHIGHLIGHTS


伝説のハグラーvsハーンズ、史上最高の第一ラウンドから衝撃の3RKO勝ち。


ふぅ~っ…疲れた。
お休みなさいzzz

チャオ♪