モニュメント | 西田 薫のブログ

モニュメント

毎週月曜日の朝は大日駅での駅立ちからのスタートです。

昨日の駅立ちでは随分と懐かしい方にお会いしました。

以前はスーツ姿で通勤されていましたが、今回は私服。

もうご退職されて今は通勤ではないご様子。

市議会議員時代に毎朝ご挨拶させて頂いておりましたが、

考えてみればもう10年以上も前の事。

随分とお歳を重ねたように見えましたが

私も同じだけ歳を重ねていますよね…。

 

以前も近くの居酒屋さんに行った時に、

いつも明るい笑顔で挨拶をしてくれていた

当時、女子高生だった女の子がスーツ姿でバッタリと再会し、

「いや〜、すっかり大人になって〜」て声をかけると

「はい!今はもう就職しています~。」と相変わらずの笑顔で返してくれました。

 

そういえば私の駅立ちももう14年になります。

 

さてそんな中、昨日は一人の男性からお声掛けが…。

「西田さん、いつも頑張ってますねー。でもちょっとこれ見てください!」と

どこかへ案内しようとされていました。

付いて行くと、いつも立っているすぐ近く、5メートル先を指を指し

「これどう思います?」と…。

 

守口市民憲章の描かれたモニュメントでした。

 

「こんな場所は駄目でしょう」とのご指摘。

その通りですね。

最近、一時利用の駐輪スぺース建設され

このモニュメントが、奥に追いやられたようになりました。

市役所に交渉にいかなければ…。

いつもこの直ぐ近くで駅立ちをしておりましたが

全く気付いていませんでした。反省です…。

ご指摘ありがとうございました。

 

そういえば、もう一つ。

守口市には義民と云われる小泉弥治右衛門という方がいます。

守口の小学校では授業でも教えられています。

江戸時代、水害で悩むこの地域の農民の為に

樋を建設し、幕府から処刑になった方です。

その樋の跡地に、小泉弥治右衛門碑跡の碑があり

今は埋められてはいますが遊歩道になっています。

 

しかし最近、一軒の家が売買され、新しく建築されるにあたり

その遊歩道を、その一軒の家が玄関前に駐車場を

作る為に、遊歩道は一部その区間だけは自動車の通行が

可能になり、また記念碑も移動されました。

ここの地域の皆さんはいつもこの遊歩道を

掃除をされ、また沢山のお花を植えられていますが

非常に残念がられています。

この遊歩道はレンガタイルで続いておりますが

この一角だけはアスファルト舗装に変えられてもいます。

 

樋跡の碑は本来はこの2メートル前にありました。

左側の道が本来はレンガタイルで

車の侵入が出来ないようにポールも立っていました。

 

このままだと、遊歩道は遊歩道で無くなり

これからどんどん車が通る道になっていくと思います。

義民 小泉弥治右衛門の作った樋だけに

やっぱりここは大切に残してもらいたいですね。