チューリッヒの芸術大学に通う
京都出身のかなちゃんが諸事情あって帰国中で、
河原町周辺で共に飲んだくれた昨夜。
おかげで今日は二日酔いで一日中ぐったりでした…。

実はアラサーやのに
20歳そこそこやったころの様な遊び方をして、
「日本って怖い」って一人つぶやく夜です。
まあどこにいてもそんな遊び方をしてるけど…。

さて、卒業旅行の記録を続けますよ。
ここまでの歩みはこちらをご参照↓
チューリッヒ→ドバイ→香港

香港→シンガポール→オークランド

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7月20日

さっさとアパートメントをチェックアウト。
そしてフィンランドで出会った人々と再会するために
彼らの泊まっているホテルへ。
(彼らとの出会い2010年の9月のこと

出会って以来ちょくちょく連絡は取り合っていた
カナダ生まれの日本人マオさんと、
ドイツ人のミヒャエルと
「久しぶりー!元気やったー?
 まさかニュージーランドで再会するとはねー!」
ってひとしきり話し、
市内でブランチをしに繰り出しました。

時間も早かったから
お店もあまり開いてはおらず、
屋台で売ってた韓国のパンケーキとかを食べながら
真冬のオークランドをぷらぷら。
比較的温暖なオークランドとは言え、
やっぱり結構寒かった。

そんなにぴんと来る店があったわけでもなく、
結局日本食屋にてお食事。
スイスよりももっと安くて、クオリティも悪くはなく、
やはり文化がミックスしてる街は違うと実感。

しばらく、真面目なアカデミックな話から
他愛もない話までした後、
僕の飛行機の時間が迫っていたため
彼らにバス停まで見送ってもらいつつお別れ。
次はいつどこで会うんやろうねって言いながら。


バスは無事大きな遅れもなく
オークランド国際空港に到着。
特にトラブルも何もなくチェックインし
エミレーツのオークランド-シドニー便へ。
なぜここでエミレーツが?って不思議なんですが、
シンガポールからオークランドで給油して
シドニーへ飛ぶ便が運行しているのです。

飛行機ではだらだらと寝て、
なんの問題もなくオーストラリアはシドニー国際空港に到着。
事前の情報で入国審査、
特に所持品の検査がやたらと厳しいと聞いていたから
むむむっと構えてたんですが、
意外とすんなり。

そして空港の駐車場にて
中学校からの友人いとくちゃんと再会!

そのまま車に乗り込み
すっかり日が暮れたシドニーのハイウェイを
いとく邸に向かって出発。
旅先でピックアップされるって幸せです。

車中お互いキャッチアップしつつ、
しばしハッピー再会トーク。
家に着いたら家には
いとくちゃんの奥様のゆりさん、
妹のともえ先生、
そして同居人のあゆちゃんと始めましてのご挨拶。

わざわざご飯もご用意いただいて、
シドニー滞在中の予定をざっくり組みつつ話しててびっくり。
ゆりさんともあゆちゃんとも共通の友人がいましたー。
いや、世間は狭いです笑

こんな具合で、
いとく氏がシドニーにいなければ
今回わざわざシドニーを旅程に入れることもなかったけど
本当にはるばる来てよかったー、
と心から思えるシドニーでの数日間が始まりました。

写真なしも愛想がないので、
おまけにこちらを最後に↓

前日に訪れたオークランドの博物館にて。
マオリの酋長のポートレイト。
油絵です。
土俗的なモチーフと
アカデミックな油絵の技法の組み合わせが
なんとも新鮮で面白い。





今回の日本での仕事の目処が
少しずつ立ちつつあります。

ちょっと気持ちに余裕もあったりなので、
放置しっぱなしやった去年7月の旅行記の続きでも。
旅行のはじまりはこちらをご参照→ チューリッヒ→ドバイ→香港のくだり

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7月14日

香港のホテルをチェックアウト、
寄り道もせずまっすぐに空港へ。
ジェットスターの
シンガポール経由オークランド行きの便にチェックイン。

シンガポールの空港では、
まだまだ久々のアジアを満喫したいモードやったし、
シンガポールからオークランドへの
8時間(くらいやったっけ?)のフライトに
食事も出ないというジェットスターなので、
ヌードルスープをいただきます。
ついでにニュージーランドの観光本も購入。

それでも乗り換え時間はたっぷり余ってたから
ちょっとしたデスクのある場所を見つけて
会議でのプレゼンの準備なんかもしつつ。

そうこうしてるうちに飛行機のボーディングタイム。
ラッキーなアップグレードでビジネスクラスやったんですが、
果たして格安航空のビジネスクラスとは如何にと
興味持ちつつやったんですが、
離陸前にすでにこれをビジネスクラスと呼ぶことに
うっすら怒りすら覚えるほどのサービスの悪さと分かり、
しかも食事も出ないし、
ちょっと憂鬱なフライトでございました。。。
長距離フライトに格安航空はもう使わんようにしようかと。

サービススキルが今まで出会った
フライトアテンダントの中でも最低やったスタッフが
えらそうに後輩アテンダントに
「接客とはこうあるべし」と
説教と指導をお客の(僕の)目の前でしてたりしてね。。。


ほとんど寝て過ごしたフライトも無事終了し、
冬のオークランドの空港に降り立ちました。

雨のふる中さっさとバスに乗り込み、
オークランド市内の宿泊先へ。
こんな感じのウィークリーアパートでした↓

リビングはキッチンと洗濯機。
これにさらにベッドルームが一つ。

チューリッヒを出てから3日でようやく目的地に到着となりました。

7月15-19日

国際学会に参加。
世界中から木造建築(主に構造系)の
研究者が集まる会議でございました。
日本やフィンランド、ドイツから懐かしい面々とも再会。
自分の発表にも地元ニュージーランド人から
かなり色の良い反応があったり、
新しい人々とも出会ったりで、
大変実りの多い会議でございました。

会場はこのタワーの隣接する会議場↓


このタワーから見る夕日はこんな感じ↓

オークランドは海に面した町です。
基本的には会議期間中は雨やったんやけども、
タワーに上った夕方はこんな快晴。

この海岸からオークランドの中心部を眺めるとこんな具合↓

こう見たら都会っぽいけども、
このエリア以外は高い建物もほとんどなく、
一国の経済の中心都市とは言え
こじんまりとした感じ。

ちなみに街にはあらゆる人種が行きかっていました。
マオリ系の人々もね。


4日半に及ぶ会議は無事終了。
最後の日の午後は
大学で散々お世話になった小林さんと理科大の先生とともに
オークランドの観光をば。


Parnell Roadの美味しいタイ料理やランチ、
そのタイ料理屋に隣接した工芸品店が
なんとも良い具合で買い物。
そこからぷらぷらしていったら
たまたまこんな木造教会に出会ったり↓

Holy Trinity Cathedralの旧教会堂です。
隣接している現在の新しい教会堂はRC造なんですが、
ステンドグラス等々内装がとってもニュージーランド味が出て
とても面白いですよ。
Parnell Roadの商業エリアを南のほうに下って
住宅地に差し掛かり湾曲するちょうどその場所にあります。
こんなこと書いて誰の役に立つかはわかりませんが笑


そこからAuckland Domainの方へとことこ移動し、
Auckland War Memorial Museum(オークランド軍事記念博物館)へ。
ここのマオリの民芸品や美術品のコレクションが
ものすごく充実していて、大興奮。

本当にエネルギーあふれる造形で、
ぞくぞくしっぱなしでした。


軍事といいながらも軍事とは関係のない展示のほうが多く、
何でもありの博物館だったんですが、
マオリとポリネシア美術のコーナーで時間を取りすぎて
その他の展示は全く見られず。
ここはもう一度行ってみたいと今も思っております。
(次回もマオリ美術だけでも良いとまで思っております笑)


オークランド最後の夜は、
日本の関係の研究者の皆さんと
市中心部の中華料理屋へ。
大勢で円卓を囲み、にぎやかな夜となりました。


と、そんなオークランドでの日々。


京都にて過ごす日々は続いております。
まだ寒いのに花粉は飛び始めてるって
何でそんな時に自宅があるわけではない日本にいるのか笑

いや、チューリッヒはチューリッヒで
嫌って言うほど雪が降ってるそうなんで、
やっぱり春が来る直前はどこもつらいものなんですよね。。


さて、
いろいろある趣味というか
日々の行い(?)の一つに、
旅先の空港で本を買う
って言うものがあります。

飛行機で暇するのも嫌やし、
たいていの国際空港は英語の本が見つかるし、
国際空港で扱われてる本は
世界的に話題の本、良い本が多いから
はずれを引くことも少ないしでね。

で、必ず探すのはポール・オースターの本。
アメリカの現代作家です。
(オースターの感想文はこれこれとかこれにも書いてます。)
で、9月にストックホルムの空港で買ったのが“Sunset Park”。
2010年に出版された、オースターの小説では一番新しい作品です。

これを今回の帰国のともにもってきて
成田行きの飛行機で読み始めた訳。

語り口は相変わらずドライやけど
魅力的で飽きさせないストーリーテリングと人物描写で、
読み終わるのがとてももったいなくて、
片手間の時間つぶしには読まず、
「読むぞー」って気持ちになったときのみに本を開いてたら、
結局読み終わるのにけっこう時間をかけてしまった。

以下、できるだけネタバレはしないようにしますが、
まだ日本語訳も出ていないことですし、
少しでも知りたくないって方は
申しありませんが読まれないでください。


オースターの小説に共通のモチーフの“喪失”と“孤独”が
この小説でもやはり重要なポイントですが、
これまで読んだものと違う印象を得たのは、
喪失がとても主観的なものとして描かれていた点でしょうか。


孤独について。

ストーリーを語るために
3人称のフォーカスの対称は
若干の時間軸のオーバーラッピングあるいは乖離とともに
移ろっていきます。

小説的表現には言葉が不可欠で、
言葉を語るには視点というものが必要で、
固定の視点を与えると
あたかも絶対的真理(あるいは神の視点)というものが
存在するものなんじゃないのって感じさせかねない。
時には一人称や
登場人物の自身を客体化してのモノローグなんかも交えて
「神の視点」からの開放を巧く表現しています。

そこで浮かび上がるのは
「人の存在に絶対の実態はなくて、
 見方、視点を変えて見てみると
 その人の存在なんてとても曖昧なもの」
っていう感覚。


そして“喪失”について。

喪失はオースターの小説には絶対に欠かせないモチーフですが、
過去の作品は「絶対的な喪失」が描かれることが多かったのです。
たとえば“Mr. Vertigo”のWalterが
頭痛により飛ぶことを止めざる終えなくなったり、
それゆえに彼が経験したさらなる喪失とか。

でも本作品の喪失は
上述の「神の視点」の放棄で、
喪失さえも主観的に自らが定義するものであり、
喪失の絶対的な形ってない(かもしれない)と見せます。

実はオースターにしては珍しいくらいに
物語に悲壮感というか絶望感が少ない。
感じられる悲しさは
各登場人物の過去の描写によるものがほとんどで、
大きな事件はあまりないままストーリーは進み、
残り数ページでは
びっくりするくらいのハッピーエンドの予感さえも。

でもその最後の最後に、やはり事件は起きるし、
読者はそれまでに十分に感情移入してきてるから
「なんでそんなことになんのよー…」って
作者に文句も言いたくもなりそうになるけども、
実は物語が語られ終わったその続きに
救いや許しがありえることにも気付かされる。

さらにさらに深く読むと、
「主観的な喪失」の理由となる罪や失敗と、それに対する許しについて、
「この宇宙の中で一人間の犯した間違いなんて何の意味もないよ」
あるいは
「そもそも罪・過ちなんて定義できないよ」
っていう考えにまで一気に宇宙が拡大させられもします。

ごく平易に淡々とふわふわした視点から語られるその文章から立ち上る
「孤独」と「喪失」にまつわる
「罪と許し」と「その議論もナンセンス」のスパイラルが
とても豊かな読後感を与えてくれました。


勢いで書いたから
なんだか散らかった文章ですが、
とてもお勧めです。
日本語訳がでたらそれでも改めて読んでみたいものです。

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