なんかアクセスが増えると、

嬉しくなって続投しちゃうのです。

単純なものです。



昨日一日穏やか目に過ごしただけで、

具合がさくっと良くなるわけでもなく、

今日もふらふらと過ごしました。


でも家にいては腐ると思い、

結構な無理をしてEMPAへ。

ランチだったりコーヒーだったりのブレイクで、

ストレス発散系の話もしたりで(つまり愚痴こぼした笑)、

結果としては気持ちは前向きになったので良かったとします。

黙って聞いてくれたサバに感謝ですな。


しかし、早いとこ治してしまいたいよ。。。



さて、いつまでたっても終わらなかったオランダ旅行記です。

きっと今回が最終回。

ここまでの歩みは ここ  とか ここ  をご参照くださいませ。



6月27日 夜


アンネフランクの家

→国立美術館の後は、

微妙な夕方の時間ができてしまったんで、

予定してなかったゴッホ美術館へ。

オランダゆかりの画家ですからね。


ゴッホはいつ見てもなんか疲れるし

そもそも時間もそんなに無かったから、

サクッと回覧。

それでもぐぐぐっとくる絵はあって、

とある自画像の前からしばらく動けなくなりました。

自分の顔に緑とか青とか塗っちゃうって、

しかもそれが造形的にしっくりきてるって、

その上なんか妙にハンサムって、

何とも不思議な気分にさせられた訳で。


これまでのゴッホの印象って、

賑々しいというか、情念渦巻く造形で、

結構食わず嫌いな部分もあったんですが、

この美術館は絵を描き始めた時代から

丹念にゴッホの足跡をたどることができるようになってて、

これまでよりはずっと画家を身近に感じました。

別にそれが良いとか悪いとかではないけれど。



ゴッホ美術館を後にして、

朝からずーっと暑い中歩きっぱなしやったもんで、

すっかりへとへとで、

ホテルに一旦戻る途中に

なぜかたくさんあるアルゼンチン風グリル料理のレストランにて、

スペアリブの塊を食し、

ビールをがばがば飲み、

そんなことを一人でしてるアジア男子が珍しいのか、

店員からの不思議そうな視線も感じつつの夕食。


そして、その後ビール片手に

いよいよ夜のアムステルダムへくりだしたのです。



念のため、おさらいですが、

マリファナと売春が合法なのです。

盛り場の中心部はどこもマリファナの臭いが立ち込めている感じ。


いざ旧教会周辺のいわゆるRed-light districtへ潜入。

中でも一番の中心は、

売春小屋が立ち並んでいます。

赤いライトが目印です。


それぞれの建物の間口がいくつかに分割されてて、

そのそれぞれの小さな部屋にひとつひとつガラスドアがついており、

そのガラスのドアの内側から

必要最低限のものしか身に着けていないお姉さん達が

通行人に笑顔を振りまくという状況。

因みこのドアの内側にカーテンがかかっていれば、

使用中ということ。


そんな売春小屋が乱立する中、

ライブセックスショー小屋やら、

ストリップ小屋やら、

セックスショップやら、

コーヒーショップ(マリファナ買える場所)やらが、

ひたすら通りを埋めていると。


もうそれはそれはとてつもなく異常な状況でした。




僕が訪れたのはまだ明るい夜9時ごろで、

通行人もほとんどが物見遊山の観光客。

その観光客にもいろんなタイプがいて、

"That's soooooo disgusting!!!"と叫び続けるおばさま達や、

一夏の思い出を本気で作ろうとしてる若い男子達や、

友達同士で連れだってきゃーきゃー騒ぐグループや、

妙に神妙な面持ちで居心地悪そうにしながらも

興味津津できょろきょろしてるアジア系の人達、等々。


そんな人ごみに混じって、

かなり本気で売春を目当てにしているであろうおじさんたちもいます。


僕は完全に居心地悪いながらきょろきょろのアジア人の一味だったのですが、

好奇心に勝てずとにかく細い路地も残すことなく

とにかくエリア内を満遍なく散策しました。


最初のうちは、

とにかく全く初めての都市体験だったせいで、

ひたすら面食らい、

と同時に心のなかは「なんじゃこりゃー」と

妙にテンションが上がったりもしました。

が、しばらく歩くうちにどうにも違和感というか、

何かが腑に落ちない感覚に。



何が一体異常だったのか。。。


通常は抑圧されているはずの欲求を

「自由」の合言葉の下、

ただあっけらかんとオープンにすることは所詮不可能で、

「オープンにセックスを扱う」という建前が

結局「セックスは倫理上抑圧されるもの」という構造を

逆説的に示しているだけなのです。




本当に外国産の成人ビデオから飛び出して来たような

いかにもな雰囲気のむんむんと漂う娼婦達は、

結局ビデオの中の人レベルの希薄な存在感なのです。


というのは、

一般客としての自分が

セックス産業を目前にして既に無意識のうちに

実際に普段人間に接する際とは全く異なった

バイアスのかかった視点を取るから。


街にあふれる観光客の中で、

娼婦達、

あるいはストリッパー達、

あるいは公開実演をしている男女を、

生身の人間として認識する人は、

ほとんどいないんじゃないかと思うのです。


いや、もっと正確に言うと、

セックス産業の提供サイドが、

完全に意識的に

サービスの提供側を半ば偶像化して

徹底的にステレオタイプにはめていくというプロセスを取っている、

といった方がむしろ正確かもしれません。


つまり、一般の客の立場は、

そもそもサービスの提供者への

人間同士のシンパシーを感じる道を断たれているということ。


シンパシーを感じる前提があるとタブーを冒している感覚が先立つのです。

そうなるともはやビジネスとしてのセックス産業は成り立たない。


だから例えば、

異常にスタイル抜群で、

とーっても厚い化粧のブロンド美女が

体の97%を露出させながら

ガラス戸の向こうから笑顔を投げかけてくることは

圧倒的に非日常。

でもふと2階を見上げると、

肉感たっぷりのいわゆる熟女の娼婦がこちらを見下ろしてるのに気付き、

一気に現実感覚に引き戻されると、そういうことです。

(なので、こういう特化したサービスで特化した顧客層を狙う産業構造は

 きっと非常に複雑な経済論理が働いてるはず)




結局友人同士で公開実演ショーを見に行くのも、

若い頃に友人同士でビデオを観るのと

本質的には全く同じ行為。


一人だと倫理もなにもないのでしたいことすればいいんですが、

ひとたび人の目があるとなると、

目の前で繰り広げられるあらゆることは

現実なのに幻か何かのように

触れられるかを確かめるのも愚かしいことになり果て、

愚かしいというコンセンサスが客同士はもちろん、

サービス提供側と客の間でも成立しているから、

日常生活の倫理を飛び越えられると、

そういうことです。


この場での本当のタブーは

セックス産業と現実生活の区別を誤った行為をすること。

このラインの取り方を間違えると、

皆が抱える倫理に反する感情がいっきり露呈され、

みんな不愉快になるのです。


例えばこのエリアは写真撮影がタブーとされているのも、

その現れの一つ。



なんて、そんなことを一旦このエリアを離れて

アイスクリームを食べながら考えたのでした。


で、日が暮れてからもう一度くりだしたら、

今度はさすがに一人でフラフラしてる人の割合が増えてて、

売買成立の瞬間だったり、

明らかに物色中のおじさん達だったり、

本格的にお金の動く様を目の前で目の当たりにし、

何とも複雑な気分でホテルに戻ったのでした。



翌朝、早くにスキポールの空港へ移動し、

無事チューリッヒへと舞い戻ったのでした。


という訳で長かったオランダ旅行記は以上。

なんか旅行記の最後の記事がこんなんで、良いのかね笑

遠慮なく自由に書きすぎた気もします。

もし不快な思いをされた方がいたら、ごめんなさい。


最後お口直し?にアムステルダムの写真を。


アムステルダムは運河の街です↓
ごとうゆたかのNoch einen schritt weiter !
地元人は思い思いに船に乗って休日を楽しみます。

これは優雅。うらやましい。