9月にベルリンへ行き、

ホロコーストのことについていろいろ学び、(詳しくは→ こちら

その印象の消えぬうちにと、

「シンドラーのリスト」のDVDを手に取りました。


もちろんこの映画のことは知ってたし、

今まで観る機会もたくさんあったんですが、

なんとなく避けてたのです。

重い内容なのは明らかだし、

そもそも戦争ものの映画があまり好きではないので。



しかし、昨日新しい電話線を買いに電気屋に行ったついでに、

DVDコーナーにぷらりと立ち寄ったら、

ぱっと目に飛び込んできて、

しかも安かったからつい手が伸びてしまったのです。

(この映画の公開は1993年なんですね!?

もう15年以上前の映画だとは、にわかには信じがたい。)


さて、3時間以上もあるモノクロ映画ですが、

長さを感じさせない展開で、

あっという間にエンドロールといった印象。


とにかく悲惨なしかし事実に基づいた内容で、

目を背けたシーンもいくつかあったのですが、

改めて感じたのは、

絶対的な根拠・理由の存在し得ない人種差別が、

社会のルールまで形成してしまった歴史上の事実への驚きと悲しみでした。


多分、人間は自分の外部世界に対して

共感、同情といった感情を抱かない対象を、

人間性のないものとしてとらえるんだと思うのです。

その対象が人間であれ、人間以外の生き物であれ、物であれ。


それが、愛玩動物を人間扱いするの感情と反対の

人間を人間扱いしない感情の成立要因になっていて、

ナチスドイツによるユダヤ人迫害においては、

社会が差別のルールを確立してしまい、

そのために市民が被差別者へ同情心を抱く気持ちを絶ち、

人間を人間と見なさなくなることが現実になった訳ですね。



この映画のポイントは、

こういった歴史的事実を踏まえて、

観客に対して

「こんなに惨い事実がありました。

やっぱり差別はいけないですよね。」

っていうストレートなメッセージではなく、

オスカー・シンドラーの取った行動を通じて

「何故人を助けるのか?」

という疑問を投げかけている点だと思います。



極端な右翼ではないけどナチ党員だったシンドラーが、

ポーランドはクラクフ近郊の強制労働キャンプに収容されているユダヤ人1200人を連れ出し、

チェコスロバキアの自分の工場で働かせ(働いてるふりをさせ)、

戦争の終結まで面倒を観たというのは歴史上の事実。


では何故シンドラーがユダヤ人を助けようと努力をしたのか、

その理由の描き方がこの映画を映画たらしめる一番大事な部分で、

結局この映画ではそれが描かれてない。

というより、シンドラー自身その理由もわからず

ただただ救出に尽力したと描かれているのです。


戦争の終結を宣言するチャーチルの言葉を聞いた夜、

自分の救出したユダヤ人たちを目の前に、

自分の果たした行動の意味に気付いて

“I could have saved more.”

と、泣き崩れたシンドラーの姿があまりに鮮烈でした。



同情・共感に理由なんてなくって、

理由なしに抱く同情がヒューマニティなんだと

僕はこの映画の言いたいことをそう解釈しました。


しかし、もともと共感体質で

映画とか見たら簡単に涙腺の緩む僕なのですが、

この終戦の夜のシーンはとにかく

いろんな種類の感情がどっとあふれるシーンで、

かつて見たどの映画よりも心を動かされました。



いや、名作映画ですね。

大満足でした。