だから単純に
「わー、楽しかった


という終わり方でなかったというのが正直な感想です。
特に「ソモソモ」では感動もしたけれど、心がチクチクとしたところもあります。
うちは夫婦二人の生活で子供はいません。
もう40代半ば、今後持つ予定もありません。
子供がいない理由は細かく挙げればいろいろあるけど、つまるところは私の性格や我が儘、考え方によるところが一番大きい要因なのよね。
だから今回の授業はちょっとばかり痛かったです。
命を繋いでいくことを自分では放棄している訳ですから。
私の周りには子供がいない、子供を持たない、持てない、そういう友人は結構います。
肉体的には何の問題もなく産むことが出来たかもしれない私が子供を持たなかったのが申し訳ない気分になることもたまにはある。
実は、嵐旅から帰ったその日、ダンナが駅まで車で迎えに来てくれたのでそのままお土産を届けにダンナの実家に行ったの。
鳩サブレとお豆を渡した時にお母さんが
「うちら孫もおらんで淋しいわぁ」みたいなことを言ったのね。珍しく。
妹夫婦のとこには3人の孫がいるけどね。
私、嫌~な言葉をろ過するフィルターと極力忘れるスイッチがあるから、
「はい~、ごめんねぇ。」と軽く流してた。
しかし翌日、ダンナから、「父ちゃんがいぬこに謝っといてな。」って言ってたって聞いて。
「あぁ、お父さん気にしてはったんや~。」



こちらこそ、ごめんなさい。
名前を継ぐ孫を抱かせてあげなくてごめんなさい。
私達に子供がいないことについて、直接的に心配する言葉をかけたり励ましたりすることを避けているのはわかっていました。
私もそれに気づいているので脳天気パッパラパ~嫁で通してたんです。
それがこのタイミングでまさかのお父さんに謝らせてしまうなんて。
お母さんに言われた言葉よりそっちの方がこたえました。
自分で決めたことだから凹むのもおかしいかもしれないけど。
「ソモソモ」の授業を受けた後だったからなおのことこの件に関して「チクチク」してしまってました。
でも、「メソメソ」はしない~。
私は親としての「ソモソモ」を子供に伝えることはないけれど、私の持つ「何か」を伝えていくことは出来るはず。
いつもそう思ってます。
職場で後輩の指導をしたり、ボランティアで自然観察の指導したり、講座を開いたり。
自分が得た知識を伝えることもそうだし、献血なんかもそう。
私の持っている元気を少しでも役に立ててもらえたらいいな、これもある意味、命を繋ぐことじゃないのかなって思ってね。
水がいろんな形に姿を変えて巡っているように、命も命だけでなく、エネルギーや元気に姿を変えて巡っていくんじゃないだろうか。
私の元気も「グルグル」と巡っていく命のひとつだと信じて。
頑張っていこうかな
