今日全統記述模試が返却されました。
英語:143/200点 偏差値67.9
数学:117/200点 偏差値66.2
国語:121/200点 偏差値64.8
日本史 78/100点 偏差値70.3
3教科計 381/600点
4教科計 459/700点
~判定~
京大経済前期:D
一橋経済前期:C
阪大法前期:C
神戸法前期:C
阪大経済後期:D
慶應法:D
早稲田法:C
同志社法:A
関学法:A
「え?低すぎじゃね?」って言う方がいらっしゃるかもしれませんが、その通りです。
前も言いましたが、この試験は全統模試史上最高に死にました。
正直、こんな偏差値とったことないです。
(いや、強いて言えば高2冬の全統記述も盛大に死にましたが、あの時は全体の難易度が高かったので・・・。)
数学は明らかに時間配分のミスと焦り。言い訳しようがないです。
まぁ数学は言わずもがないですが、予想外なのが英語。
正直言って最低でも160は超えるから、京大も何とかC判定以上は確保できるだろう・・・という皮算用でした。
しかし、答案を見ていると、稼ぎどころの長文問題で記述問題が2問とも×。これだけで-18点です。
解説を見ると、何と2問のうち1つの記述問題は部分点無し。
つまり、数十字の記述のうち、一部分でも不適切な記述があれば即0点。
・・・・なんかなぁ。それって記述式にする意味あるの?って思います。
結局「単語知ってるか知ってないか」の知識の差になっちゃうじゃん。
まぁそれも実力といえば実力なんだけど・・・。
なーんか、今回の河合の採点基準は納得いきません。
前からそうなんだけど、河合の記述の採点は僕は変だと思います。
逆に、数学は甘すぎ。部分点与えすぎ。
答えが合ってないのに何でこんなに点もらえるの?っていう箇所がちらほらありますね。
採点基準をあっさりすることで採点の人件費でも浮かせようとしてるのか?などという負け惜しみ的邪推がはたらく自分にも腹が立ちますが・・・。
国語は意外と過去最高点。
全体的にあまりに悲惨だったので自己採点する気すら起きませんでしたからまさかそんなに点を取ってるとは・・・。
でも、偏差値は3年になってから最低。なんじゃそりゃ。どんだけ平均高いねんww
日本史も意外と初の偏差値70超え。っていうか偏差値70超えが日本史だけってどういうこっちゃ・・・。
英語が偏差値75超えないどころか、70すら超えないというのは、僕にとっては最高の屈辱です。
まぁでも、所詮は総合模試。今更こんな模試に一喜一憂してる暇はありません。
京大模試ではそこそこの点を取れてる(はず)だから、そこまで落ち込んではおりません。
多分今回の全統記述より、代ゼミの京大プレの数学の方が点数高いと思いますww
まぁ、こんな成績票はとっととしまっておきます(現実逃避)
今日は新しく出来たカフェで、友達3人と勉強してきました。
およそ数ヶ月ぶりのメンツ。久々に会いましたが、志望校は変わっていない様子で、変えたのは僕だけ。
要するに、皆着実に一歩を踏み出している一方で、僕はいつまで経っても宙ぶらりんだということです(苦笑)
しかし、近くにこんなにいい店が出来たとは。
接客も丁寧だし、ピザも美味しかったし・・・。ホントピザ1枚しか注文しない癖に3時間以上も居座ってすみませんでしたm(_ _)m
まぁ今回は時間も時間だし、店内もがらがらだったとはいえ、次からはもっと注文しないと申し訳ない気がする。
これから勉強する時は、ここにしようと約束しました。
(まぁ毎日行くと流石に迷惑なんで、たまにですが。)
やったのは京大数学と日本史。
数学は確率分野。僕はセンター・二次含め確率が苦手なので、とりあえず25ヵ年を丸写し(わんこら式)してます。
漸化式を利用したりと単純な問題なら出来るんですが、ややこしい問題になると全くできなくなります。
京大模試3回受けて、確率は3問中1勝2敗。しかも1勝のやつもマグレ。ボロボロです。
確率は京大数学では結構な確率で出題される分野なので、絶対に対策はしとかないと・・・。
あと、勉強以外にも、周りの友達の近況なども聞けました。
同じ中学校のYという男は、今県順位1位あたりを総ナメにしてる変態野郎だそうです。
当然東大京大オールA判定。俺なんか京大A判定取ったことないのに・・・。
(強いて言えば第2回全統記述は京大書いてればA判定だっただろうけど。)
思えばアイツの成績は中学の時から変態でした。
忘れもしない中3の終わり頃の実力テスト。僕は442点(500点中)で学年2位でした。
しかし、アイツは462点で、僕と20点差をつけて1位でした。
凡人と天才を分かつ境界線は、見事に1位と2位の間に引かれてしまったのです。
僕の記憶では、Yが学年1位を逃したのは、1度あったかなかったかでした。
誰もが打倒Yを試みましたが、唯一同点で並んだ男がいたぐらい。それ以外は蚊帳の外でした。
学年順位100位以下の百姓から成り上がってきた田舎っぺの僕は当然敵いもしませんでしたね。
結局Yのバカタレは県トップ高校に進学し、文系に進んで京大を目指すとか言ってました。
お願いだから、東大に行ってくれww
いや、少なくとも京大経済には来ないでぇぇぇぇ
まぁどうせアイツは東大文Ⅰ~Ⅲか京大法あたりを目指すでしょう。いや、目指してくれないと困ります。
あと、もう一人。
小学校の頃から「天才」と言われてきたF。
Fは確かに知的好奇心が旺盛で、小学校の頃には先生に「4÷0を計算したらどうなるんですか?」と質問攻めして困らせてました。
ただ、天才Fも中学になると先述のYなどには勝てず、結局トップ10争いに甘んじてました。
僕も小学の頃や中学の最初はFなぞ雲の上の存在だと思ってましたが、最後はFに勝つぐらいの実力になりました。
彼は確か理系に進んで医学部へ行くと言っていた気がするのですが、志望校は京大だそうです。
京医医?・・・まさか。さすがにそれはないでしょうね。多分京大の非医の理系学部だと思います。
他にも今の状況が気になる猛者達はいますが、多分同窓会やら成人式やらで聞くことになるでしょう。
そのためには、僕も頑張らないと・・・。
およそ数ヶ月ぶりのメンツ。久々に会いましたが、志望校は変わっていない様子で、変えたのは僕だけ。
要するに、皆着実に一歩を踏み出している一方で、僕はいつまで経っても宙ぶらりんだということです(苦笑)
しかし、近くにこんなにいい店が出来たとは。
接客も丁寧だし、ピザも美味しかったし・・・。ホントピザ1枚しか注文しない癖に3時間以上も居座ってすみませんでしたm(_ _)m
まぁ今回は時間も時間だし、店内もがらがらだったとはいえ、次からはもっと注文しないと申し訳ない気がする。
これから勉強する時は、ここにしようと約束しました。
(まぁ毎日行くと流石に迷惑なんで、たまにですが。)
やったのは京大数学と日本史。
数学は確率分野。僕はセンター・二次含め確率が苦手なので、とりあえず25ヵ年を丸写し(わんこら式)してます。
漸化式を利用したりと単純な問題なら出来るんですが、ややこしい問題になると全くできなくなります。
京大模試3回受けて、確率は3問中1勝2敗。しかも1勝のやつもマグレ。ボロボロです。
確率は京大数学では結構な確率で出題される分野なので、絶対に対策はしとかないと・・・。
あと、勉強以外にも、周りの友達の近況なども聞けました。
同じ中学校のYという男は、今県順位1位あたりを総ナメにしてる変態野郎だそうです。
当然東大京大オールA判定。俺なんか京大A判定取ったことないのに・・・。
(強いて言えば第2回全統記述は京大書いてればA判定だっただろうけど。)
思えばアイツの成績は中学の時から変態でした。
忘れもしない中3の終わり頃の実力テスト。僕は442点(500点中)で学年2位でした。
しかし、アイツは462点で、僕と20点差をつけて1位でした。
凡人と天才を分かつ境界線は、見事に1位と2位の間に引かれてしまったのです。
僕の記憶では、Yが学年1位を逃したのは、1度あったかなかったかでした。
誰もが打倒Yを試みましたが、唯一同点で並んだ男がいたぐらい。それ以外は蚊帳の外でした。
学年順位100位以下の百姓から成り上がってきた田舎っぺの僕は当然敵いもしませんでしたね。
結局Yのバカタレは県トップ高校に進学し、文系に進んで京大を目指すとか言ってました。
お願いだから、東大に行ってくれww
いや、少なくとも京大経済には来ないでぇぇぇぇ
まぁどうせアイツは東大文Ⅰ~Ⅲか京大法あたりを目指すでしょう。いや、目指してくれないと困ります。
あと、もう一人。
小学校の頃から「天才」と言われてきたF。
Fは確かに知的好奇心が旺盛で、小学校の頃には先生に「4÷0を計算したらどうなるんですか?」と質問攻めして困らせてました。
ただ、天才Fも中学になると先述のYなどには勝てず、結局トップ10争いに甘んじてました。
僕も小学の頃や中学の最初はFなぞ雲の上の存在だと思ってましたが、最後はFに勝つぐらいの実力になりました。
彼は確か理系に進んで医学部へ行くと言っていた気がするのですが、志望校は京大だそうです。
京医医?・・・まさか。さすがにそれはないでしょうね。多分京大の非医の理系学部だと思います。
他にも今の状況が気になる猛者達はいますが、多分同窓会やら成人式やらで聞くことになるでしょう。
そのためには、僕も頑張らないと・・・。
昨日結局寝たのは4時ぐらいで、起きたのは昼でした(笑)
もうじき受験というのに、昼起きはまずいでしょ・・・。
タイトルは長渕剛の「俺らの旅はハイウェイ」という歌の一部。昔のフォークソングって感じで中々好きです。
最近ギターの方は専らスリーフィンガーの練習をしている(下手ですが)ので、この歌も結構弾きます。
あと、スリーフィンガーで好きな曲は、山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」です。
約40年前の歌ですが、中々好きです。
歌が好きなのもあるんですが、ギターで弾いていて気持ちいいです。
まぁあれですね。
フォークギターをやっていると、どうしても歌の好みが昭和チックになるのは避けられません(笑)
さて、フォークソングの全盛期は、1960~1970年代だったと思います。
丁度、岸内閣の時の安保闘争など、学生運動真っ盛りの時期でしたからねぇ。
学生運動には、大別して、安田講堂事件などの「過激派」と、そうでない派の2種類があったそうです。
前者は言わずもがなですが、後者は「学生上がりのシンガーが、ギター弾きながら社会を風刺する風潮があった」と親が言っていました。
ちなみに京大などは当時はもろマル経が主流でしたから、全共闘の聖地ともなったようです。
それに対して阪大は割と近経に力を入れているイメージがあります。(あくまでイメージですが・・・。)
ところで、山本コウタローさんはあの名門日比谷高校から難関一橋大学を卒業されたそうです。
彼は浪人後に東大受験する予定だったのですが、学生運動が激化して入試が中止されたため、止むを得ず一橋を受験したと書かれています。
彼に限らず、1960年代には、学生紛争によって東大受験断念を余儀なくされた受験生は数多くいたそうです。
ありえない話ですが、例えば自分がもし学生運動のせいで京大受験断念を余儀なくされたら・・・・阪大を目指し気持ちを切り替えて勉強に励むか、玉砕覚悟で無対策の一橋を受験するか、もう1年頑張って京大を目指すか・・・そのいずれかにするでしょうね。
多分僕だったら「前期:一橋 後期:阪大 を受験して、もしどっちも通らなかったら浪人して京大を目指す」という形になるかと思います。
ただまぁ、志望校は譲れないですからねぇ・・・迷う所です。
っとまぁ今日はまとまりの無い話になってしまいましたが、言いたいことは・・・まとまってないです(笑)
まとまらないことを、まとまらない思考によって、まとまらない文体で書く。
ブログだからこそ出来ることだと僕は思います。
もうじき受験というのに、昼起きはまずいでしょ・・・。
タイトルは長渕剛の「俺らの旅はハイウェイ」という歌の一部。昔のフォークソングって感じで中々好きです。
最近ギターの方は専らスリーフィンガーの練習をしている(下手ですが)ので、この歌も結構弾きます。
あと、スリーフィンガーで好きな曲は、山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」です。
約40年前の歌ですが、中々好きです。
歌が好きなのもあるんですが、ギターで弾いていて気持ちいいです。
まぁあれですね。
フォークギターをやっていると、どうしても歌の好みが昭和チックになるのは避けられません(笑)
さて、フォークソングの全盛期は、1960~1970年代だったと思います。
丁度、岸内閣の時の安保闘争など、学生運動真っ盛りの時期でしたからねぇ。
学生運動には、大別して、安田講堂事件などの「過激派」と、そうでない派の2種類があったそうです。
前者は言わずもがなですが、後者は「学生上がりのシンガーが、ギター弾きながら社会を風刺する風潮があった」と親が言っていました。
ちなみに京大などは当時はもろマル経が主流でしたから、全共闘の聖地ともなったようです。
それに対して阪大は割と近経に力を入れているイメージがあります。(あくまでイメージですが・・・。)
ところで、山本コウタローさんはあの名門日比谷高校から難関一橋大学を卒業されたそうです。
彼は浪人後に東大受験する予定だったのですが、学生運動が激化して入試が中止されたため、止むを得ず一橋を受験したと書かれています。
彼に限らず、1960年代には、学生紛争によって東大受験断念を余儀なくされた受験生は数多くいたそうです。
ありえない話ですが、例えば自分がもし学生運動のせいで京大受験断念を余儀なくされたら・・・・阪大を目指し気持ちを切り替えて勉強に励むか、玉砕覚悟で無対策の一橋を受験するか、もう1年頑張って京大を目指すか・・・そのいずれかにするでしょうね。
多分僕だったら「前期:一橋 後期:阪大 を受験して、もしどっちも通らなかったら浪人して京大を目指す」という形になるかと思います。
ただまぁ、志望校は譲れないですからねぇ・・・迷う所です。
っとまぁ今日はまとまりの無い話になってしまいましたが、言いたいことは・・・まとまってないです(笑)
まとまらないことを、まとまらない思考によって、まとまらない文体で書く。
ブログだからこそ出来ることだと僕は思います。
今日受けてきました。
約1年半ぶりに、京都へ行って受験。
京大だけに京都へ行ったのですが、会場は駿台の京都校でした。
ただ、災難だったのが、朝の特急の席が空いてなくてずっと立ちっぱなしだったということ。
特急で立ちっ放しというのは、4、5歳ぐらいの時に母と姉とで旅行へ行った時以来。
奇遇なことに、この時も京都へ行きました。
まぁそれは置いといて、とりあえず無事到着。
科目別に振り返ります。
-英語-
和訳は、基本的に工夫はできた。
良いのか悪いのか分かりませんが、僕は一ついい訳が出来ると、次の訳も調子に乗って味付けしちゃう癖があるんですよね。
ただ直訳するだけじゃつまんないので、ちょっとカッコイイ訳にしてみたり・・・。
まぁでもⅡの(5)は完全に間違えました。「fear」を「怖がらせる」と訳してしまった自分に渇を入れたいです。
あと、英作文、ボロボロ。代ゼミに続きまたもややらかしました。
一瞬「大根って英語で何?」ってなったら、下に「大根:daikon」って注釈が打ってあってウケましたww
(最初「ruddish」って書きましたが、正確には「radish」らしいです。惜しいけど、書かなくて良かったw)
全体としては、河合並で、代ゼミ以上でしょう。
90点は超えてるといいんだけどな~。
ただ、英作文のせいで、それも厳しいかもしれませんね・・・。
自己採点は、80~105ってとこですかね。
-数学-
思ったより簡単だった。
大問4終わった時点で45分ぐらい余ってたので逆にビビる。
結局大問5はn=6とそうでない場合とで場合分けをして、cosを適当にいじって無理矢理「題意は示された」という強引なやり方。
0点だとは思いますが、せめて5点でも10点でも頂ければ・・・。
で、大問4まで調子こいて4完だと思ったら、まさかの2完2半。
大問1(1)でまさかの計算ミス。むしろ(2)の方がよっぽど計算煩雑だったんだが・・・・まぁそういうこともあるさ。前よりはだいぶ減った。
全体としては、2完3半。2完+1(2)であわせて最低75点はあります。
なので、自己採点は、75~100ってとこですかね。
-国語-
今日は古文から始めてみる。
古文は割と文章は読めた。
・・・ただ、設問はちらほらボロボロなとこがある。
最後の和歌問題は、「今回はイケたぞ!」って思ったんですが、主語を思いっきり反対にしてました(苦笑)
まぁ、主語以外の解釈は合ってる部分もあるので、少しでも点数がもらえれば嬉しいです。
現代文は、かなり焦って解いたので、ちょっと解答は雑になりましたが、そこまで悪くは無いと思います。
まだ採点基準が分からないので何とも言えませんが、全体では、60点あればいいですね。
自己採点は、55~75ぐらいですかね。
-日本史-
予想通り史料問題でボロボロ。
「延暦寺」を、注釈の「山科」という語を見て「山科本願寺」に変えてしまったのは悔しかった。
あと一番悔しかったのは、「復興金融金庫」の「興」という字が思いつかなかったこと。
こないだの「方丈記」のパターン。完全なる度忘れです。
なので、苦し紛れで「復効金融金庫」って書きました。アホかwww
単答問題は、49点/70点。ちょうど7割。河合以上代ゼミ以下ですね。
論述は、結構頑張って書いたんだけど、解答見たら全然違うこと書いてたwww
二番目のはもはやあてずっぽう「義民」「専売制」の使い方が完全に誤ってました。
二番目はよくて1点。多分0点でしょうね。一番目はせめて5点ぐらい欲しいところ・・・。
というわけで、自己採点は、50~60あたりと予想します。
というわけで、全体では、
英語:80~110
数学:75~100
国語:55~60
日本史:50~60
合計:275~310
ぐらいだと思います。
え~。というわけで、現役最終模試、とりあえずこれにて閉幕。
また駿台プレ受けるかもしれないですけど、とりあえず一段落。
今日は眠すぎて頭痛いんで、早く寝ますw
約1年半ぶりに、京都へ行って受験。
京大だけに京都へ行ったのですが、会場は駿台の京都校でした。
ただ、災難だったのが、朝の特急の席が空いてなくてずっと立ちっぱなしだったということ。
特急で立ちっ放しというのは、4、5歳ぐらいの時に母と姉とで旅行へ行った時以来。
奇遇なことに、この時も京都へ行きました。
まぁそれは置いといて、とりあえず無事到着。
科目別に振り返ります。
-英語-
和訳は、基本的に工夫はできた。
良いのか悪いのか分かりませんが、僕は一ついい訳が出来ると、次の訳も調子に乗って味付けしちゃう癖があるんですよね。
ただ直訳するだけじゃつまんないので、ちょっとカッコイイ訳にしてみたり・・・。
まぁでもⅡの(5)は完全に間違えました。「fear」を「怖がらせる」と訳してしまった自分に渇を入れたいです。
あと、英作文、ボロボロ。代ゼミに続きまたもややらかしました。
一瞬「大根って英語で何?」ってなったら、下に「大根:daikon」って注釈が打ってあってウケましたww
(最初「ruddish」って書きましたが、正確には「radish」らしいです。惜しいけど、書かなくて良かったw)
全体としては、河合並で、代ゼミ以上でしょう。
90点は超えてるといいんだけどな~。
ただ、英作文のせいで、それも厳しいかもしれませんね・・・。
自己採点は、80~105ってとこですかね。
-数学-
思ったより簡単だった。
大問4終わった時点で45分ぐらい余ってたので逆にビビる。
結局大問5はn=6とそうでない場合とで場合分けをして、cosを適当にいじって無理矢理「題意は示された」という強引なやり方。
0点だとは思いますが、せめて5点でも10点でも頂ければ・・・。
で、大問4まで調子こいて4完だと思ったら、まさかの2完2半。
大問1(1)でまさかの計算ミス。むしろ(2)の方がよっぽど計算煩雑だったんだが・・・・まぁそういうこともあるさ。前よりはだいぶ減った。
全体としては、2完3半。2完+1(2)であわせて最低75点はあります。
なので、自己採点は、75~100ってとこですかね。
-国語-
今日は古文から始めてみる。
古文は割と文章は読めた。
・・・ただ、設問はちらほらボロボロなとこがある。
最後の和歌問題は、「今回はイケたぞ!」って思ったんですが、主語を思いっきり反対にしてました(苦笑)
まぁ、主語以外の解釈は合ってる部分もあるので、少しでも点数がもらえれば嬉しいです。
現代文は、かなり焦って解いたので、ちょっと解答は雑になりましたが、そこまで悪くは無いと思います。
まだ採点基準が分からないので何とも言えませんが、全体では、60点あればいいですね。
自己採点は、55~75ぐらいですかね。
-日本史-
予想通り史料問題でボロボロ。
「延暦寺」を、注釈の「山科」という語を見て「山科本願寺」に変えてしまったのは悔しかった。
あと一番悔しかったのは、「復興金融金庫」の「興」という字が思いつかなかったこと。
こないだの「方丈記」のパターン。完全なる度忘れです。
なので、苦し紛れで「復効金融金庫」って書きました。アホかwww
単答問題は、49点/70点。ちょうど7割。河合以上代ゼミ以下ですね。
論述は、結構頑張って書いたんだけど、解答見たら全然違うこと書いてたwww
二番目のはもはやあてずっぽう「義民」「専売制」の使い方が完全に誤ってました。
二番目はよくて1点。多分0点でしょうね。一番目はせめて5点ぐらい欲しいところ・・・。
というわけで、自己採点は、50~60あたりと予想します。
というわけで、全体では、
英語:80~110
数学:75~100
国語:55~60
日本史:50~60
合計:275~310
ぐらいだと思います。
え~。というわけで、現役最終模試、とりあえずこれにて閉幕。
また駿台プレ受けるかもしれないですけど、とりあえず一段落。
今日は眠すぎて頭痛いんで、早く寝ますw
え~。今週日曜日にある全統マーク模試は受験しないことでほぼ決定しましたので、駿台マークを受けない限りは、多分明日の京大実戦が、現役で最後の模試になるかと思います。
普通の人よりは少し早い幕切れですが、いかんせん交通費がバカにならんのと、長時間かけて模試を受けにいくぐらいなら、この直前期は勉強しておいた方がいいのではないか、と思いまして。
う~ん・・・寂しいような、不安なような・・・。
少なくともホッとしたっていう感情は皆無であることに気付きます。
まぁ肝心の本番がまだですから、当たり前ですかね。
そして、まだまだ受験シーズンクライマックスはこれからですけど、この3年間。長かったような短かったような・・・。
色んな思いが錯綜している格好です。
初めて受けた模試は、高1の7月進研模試でした。
中学のテストの感覚でいたので、まぁ240点(8割)ぐらいは超えるだろうと思っていたら、まさかの7割。
特に数学は定期テストは点が取れたけど、模試では点が取れないという事態に陥りました。
合計点は、3教科300点満点で212点ぐらいだった記憶があります。
で、この頃は、県でもまだ100~200位程度と、旧帝大にギリ乗っかる程度の実力しかありませんでしたね。
(今の全統の現役生での全国順位(約5万人中)と、この頃の県内順位(約4千人中)が同じぐらいですから、まぁ学力は上がったと言えば上がったのでしょう。)
そして、一番お世話になったのは、河合塾の模試。
高2、高3で沢山受けました。
結局、満足の行く成績はこないだの高3第2回での1回しか無かったけど、自分を一番成長させてくれた模試は、間違いなく河合塾の模試だったと思います。
昔受けた模試の問題とか見ると、かなり懐かしくなります。
「あ~この頃は前が見えなくてひたすら勉強しまくってたな~」とか、「あ~この模試受けたあとはどん底で寝れなかったな~」とか。
まぁ、結局駿台プレ受けるかもしれませんし、どうなるかは分かりませんが、とりあえずは、明日がラストスパートのための一段落だと思って、頑張りたいと思います。
明日以降が、最後の勝負ですからね。京大実戦後、いかに合格点を上回る点数まで持っていくかが、勝負だと思っています。
普通の人よりは少し早い幕切れですが、いかんせん交通費がバカにならんのと、長時間かけて模試を受けにいくぐらいなら、この直前期は勉強しておいた方がいいのではないか、と思いまして。
う~ん・・・寂しいような、不安なような・・・。
少なくともホッとしたっていう感情は皆無であることに気付きます。
まぁ肝心の本番がまだですから、当たり前ですかね。
そして、まだまだ受験シーズンクライマックスはこれからですけど、この3年間。長かったような短かったような・・・。
色んな思いが錯綜している格好です。
初めて受けた模試は、高1の7月進研模試でした。
中学のテストの感覚でいたので、まぁ240点(8割)ぐらいは超えるだろうと思っていたら、まさかの7割。
特に数学は定期テストは点が取れたけど、模試では点が取れないという事態に陥りました。
合計点は、3教科300点満点で212点ぐらいだった記憶があります。
で、この頃は、県でもまだ100~200位程度と、旧帝大にギリ乗っかる程度の実力しかありませんでしたね。
(今の全統の現役生での全国順位(約5万人中)と、この頃の県内順位(約4千人中)が同じぐらいですから、まぁ学力は上がったと言えば上がったのでしょう。)
そして、一番お世話になったのは、河合塾の模試。
高2、高3で沢山受けました。
結局、満足の行く成績はこないだの高3第2回での1回しか無かったけど、自分を一番成長させてくれた模試は、間違いなく河合塾の模試だったと思います。
昔受けた模試の問題とか見ると、かなり懐かしくなります。
「あ~この頃は前が見えなくてひたすら勉強しまくってたな~」とか、「あ~この模試受けたあとはどん底で寝れなかったな~」とか。
まぁ、結局駿台プレ受けるかもしれませんし、どうなるかは分かりませんが、とりあえずは、明日がラストスパートのための一段落だと思って、頑張りたいと思います。
明日以降が、最後の勝負ですからね。京大実戦後、いかに合格点を上回る点数まで持っていくかが、勝負だと思っています。