日本近代史 坂野潤治 | Bein' aware of wisdom

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興は日本国民の一致した願いである。しかし、それを導くべき政治指導者たちは、ちょうど昭和10年代初頭のように、四分五 裂化して小物化している。国難に直面すれば、必ず『明治維新』が起こり、『戦後改革』が起こるというのは、具体的な歴史分析を怠った、単なる楽観に過ぎな い。
(「日本近代史」より抜粋)

 
一昨日読み終えた約450ページにもわたる著書です。

上の言葉は、本書の最後の方に書かれていたものであり、かつ表紙下の方に書かれていたものでもあります。

いや~長かっただけ最後まで読み終えた時は
達成感がありましたね。
僕は近代史を日本史という科目でしか勉強してこなかったので、「そうだったのか!」「そういう見方もあるのか!」の連続でしたね。
日本史を熱心に勉強しておられる方からすれば常識なのでしょうが、無知な僕からすれば大きく分けて以下のこと非常に勉強になりました。


「平民宰相」と言われる原敬は、実は普選反対論者であり、保守色の強い政治家だった。
これは後で調べてみると割と常識みたいですが、通史を勉強していくだけでは知りえない事実でしたね。事実、僕は通史を始めて勉強したとき、原敬の総理時代が1918-1921年で、普選成立が1925年であることに、疑問を持っていました。
「どうして平民宰相と呼ばれる原敬の時代に普選成立がなされなかったのか」と。
ですが、本を読んでみて、そういうことだったのか、と腑に落ちました。

②桂園時代は官民調和体制とも言える。
まずどうして桂園時代があれほど長く続いたのか、ということからして疑問を持たないといけないのですが、それを考えた時、これ納得のいく説明ですね。

二・ニ六事件以後も、軍部を批判する余裕は国会にあったし、国民も批判的であった。
教科書なんかだと、「ニ・ニ六事件以降、軍部の発言力が強まり、日本はファシズムへと傾倒していった」みたいな感じで説明されるので、これだとあたかもニ・ニ六事件で国会が何も言えなくなったみたいな感じですね。

ただ、そうではなかったようです。
それを示す代表的なものが「割腹問答」と呼ばれる、政友会の浜田代議士と寺内陸の論争です。
ニ・ニ六事件の後、軍部の独裁傾向を痛烈に批判した浜田代議士に対して寺内陸相が「軍部を侮辱する発言ではないか。」と返答。それに対し浜田代議士が「速記録の私の発言を調べて侮辱するものがあれば私は割腹して謝罪しよう。もし無ければ、即ち君が割腹せよ。」と返した、というのが一連の流れです。
正直ニ・ニ六事件の後にここまで痛烈な軍部批判があったというのは初めて知りましたし、驚きましたね。

④石原莞爾は、日米戦争時、非戦論者であった。
「世界最終戦論」で知られる石原は、日米戦争に反対していたということも、初めて知りましたね。
正直言って僕は石原莞爾はバリバリの右翼で過激派なのかと思っていましたが、大きな勘違いをしておりました^^;
ただ、彼は愛国者であり、物凄く頭のキレる軍事だった、というイメージはありますけどね。
 

⑤日本のファシズム化は、「政治家の小物化」が原因。
これは記事の最初の文章からも何となく推測されることですね。
ニ・ニ六事件の後著しく軍部の発言力が増したというよりは、明治期と違い政治家そのものが小物化してしまい、日米戦争や日英戦争を回避できるほどの指導者がいなかった。これが太平洋戦争に至った最大の原因だと、坂野先生は仰います。
(もっとも、上で述べた石原莞爾や宇垣一成総理になっていれば、ひょっとすれば戦争回避も可能だったかもしれない、とも先生は分析しておられます。)

そして、著書の最後では、「2011年に大震災を被った現在は、戦後というよりも、ニ・ニ六事件後の1930年代後半に似ている」と論じています。
そして、それこそが先ほど述べた「政治家の小物化」起因するものであるということです。
毎年総理が変わる現在の日本は、確かに政治家が「小物化」していると言えるし、それゆえに安易に「維新だ」「戦後改革だ」と騒ぐのは、歴史分析を怠った単なる楽観に過ぎない。

これが、この本の最後に書かれていた論旨です。


まぁまだまだ分からないことの方がずっと多いですし、この本の中でも難解すぎて良くわからなかったり、知識が足りなさ過ぎて読解に時間がかかる部分も沢山ありましたので、もう1度読み返してみたいと思います。