高認の過去問+解説集が届いたので、何気なく日本史の問題を眺めていると、以下のような会話文があった。
「私は戦争絶対的廃止論者である。戦争は人を殺すことである。そのように大罪悪を犯して個人も国家も永久に利益をお収め得るはずはない。近くはその実例を明示27.28年の日清戦争に見ることができる。その目的であった朝鮮の独立はかえって弱められ、中国分割の端緒は開かれ、東洋全体の危険な状態をもたらしたではないか。」
もしこれが日本の教育委員会が作った文章ならちょっと変だぞ、って思い調べてみると、案の定、そうではなくて当時を生きた内村鑑三の書いた文章であった。
内村鑑三といえば、日露戦争反対論者として、中学生の日本史の教科書にも載っている人物である。
もっとも、内村鑑三はキリスト教的見地から、幸徳秋水は社会主義的見地から・・・という出所の違いこそあるが。
それを言えば1837年に起こった大塩平八郎の乱と生田万の乱も同じであろう。
(大塩は陽明学者。生田は国学者である。)
社会主義者や無秩序主義者(所謂左側の人達たち)は、この後加藤高明内閣による治安維持法などで大弾圧を食らってしまうのだが、この頃はまだ社会主義・無秩序主義という思想が、そこまで危惧たるものとして問題視されていなかったのだろう。
(いや、以前から問題視されていたが、政府側が余裕をこいて構えていられていただけなのかもしれないが。)
で、話を戻して、この条文がなぜ変なのかというと、それは「朝鮮の独立はかえって弱められ・・・」という点である。
元々、朝鮮の独立などというのは日本の目指したところではない。
正確に言えば、朝鮮の清国からの独立、というのが正しい表記であろう。
要するに、日本は朝鮮を独り占めしたかっただけである。
それは江華島事件からの日朝修好条規締結にも見られるところである。
今になって見ればこんなことは明らかである。
が、逆に言えば、当時の人々はこんなことすら知らなかった。
「朝鮮の独立」という言葉を文字通り受け取ってしまっている。
普通このことを知っていたら「朝鮮の独立などと聞こえの良い御託を並べて、実態は・・・」みたいに批判している筈。
ということは、明らかに政治の実態が国民に知らされていなかったのである。
内村は恐らく下関条約の条文などから「朝鮮の独立」などという論理を引っ張りだしてきたのだろうが、事実もう日本はこの時点で朝鮮を手放す気など毛頭なかっただろう。
まぁそれは置いといて、こんな戦争バンザイの時代にあって、一人戦争を批判したというのは凄いことだと思う。
自分ならできたか。いや、おそらくできなかっただろう。
今でこそ「戦争反対」が当たり前になっている。
それゆえにまるで内村の書いた条文が、現代の平和主義の日本のものかと時代錯誤するくらいに当時の世論はかけ離れているのには驚かされる。
今の「戦争反対」と当時の「戦争反対」はまるで重みが違ったのである。
彼の論理は今になってこそ適切でない点も見受けられるが、いずれにせよ戦争を正当化して良い筈はない。
彼の論理が正しいか、それとも戦争論者の論理が正しいか・・・そんなことは関係ない。
そもそも「正しい」という言葉はその程度のものだ。
主観・倫理・道徳が違えばその定義はどうにでも変貌してしまう。
・・・と森小説の犀川教授のようなカッコいいセリフを述べてみたが、そんな言葉を喋るには、まだまだ教養が足りなさ過ぎるような気もする。