※本記事は森博嗣の小説「詩的私的ジャック」のネタバレを含みます。
まだ見られていない方は、この記事を飛ばすことを推奨します。
結構長い時間かけて読み終えました。
長い時間かけすぎたせいか、最後の方はトリックや密室の内容は結構うろ覚えでした^^;
今回の小説で印象を受けたのは、犯人の動機が病的だということです。
まぁ病的な動機で言えば、「すべてがFになる」の方が凄まじかったですけどね。
ただあれはあれで世界観なり何なり「浮世離れしている」という感覚で読めました。
なのでむしろ「動機が病的であることが健全である」というparadoxicalな感覚に陥っていたため、動機の突飛さにそこまで度肝を抜かれたわけではなかったです。
(もちろん理解できないのは当然ですが、"理解できない"という事実が寧ろスッキリするというか、何とも変な感覚なわけです。)
で、犯人については、正直途中で分かっちゃいました。
だって・・・アレはどう考えてもあの人しかいないっしょw
なので、犯人が出てきた瞬間は寧ろ「やっぱりな・・・」っていう感じでした。
ただ、森小説が戦慄させてくれる場面というのは、毎度のことながらその後の段階になります。
やっぱり動機がおかしい。全く理解できん。っていうか犯人が怖い。怖すぎる。
浮世離れしていない世界観だっただけに、いきなり「F」の真賀田博士ばりの異常思考者が表れると、こっちの調子が狂います(笑)
あんな発想で人を殺すというのは人間じゃないでしょう。
いや、篠崎の供述が正しければ、の話ですけど・・・。
彼の犯人像に対する美化修正が"戦慄モノ"に変化させたのかもしれません。
あの人の人生には、汚点なんてない。真っ白じゃなくちゃいけないんだ。
たとえ、そのために、自分の心臓を取り出してもさ。
だから、もう一度、真っ白なノートを作って、綺麗な計算式で埋めていこうと、きっと、そう決めたんだと思う。
いつだって、スタートに戻って、やり直せるんだ。
その勇気が、あの人にはある。あの人は・・・、俺たちみたいに弱くないから・・・。
-森博嗣「詩的私的ジャック」より抜粋-
こんな動機がまかり通るのか・・・と唖然としますね。
「人を殺した妻を消すことで"自分の人生"を真っ白にすると言っているが、妻を殺した"自分自身"は真っ黒なのではないか」と。
やっぱり常人には理解できない。
あと、杉東が相田素子を殺したというその動機も俄かに信じがたい。
常識的に考えて、いくら酔っ払っていたとは言え、女性同士が口論になったぐらいで首を絞めて殺そうと思いますか?
篠崎は「杉東さんは相田のようなタイプの女が一番嫌いだった」と言っていますが、いくら嫌いなタイプの女だからといって衝動的に殺害するのはおかしいでしょう。
彼女は、小説から察するにもっと知的で、そのような非論理的な行動を犯すとは思いがたい人間です。
杉東の動機は、結城寛の動機とは"違った意味"で理解に苦しみます。
なんか、こう考えると、萌絵が指摘したように、篠崎が美談にしているようにも思えますね・・・。
まぁ、読者が「美談だ」と後で口出しするのは野暮なので、やめた方がいいんでしょうが・・・。
まぁそれは置いといて、犀川助教授と萌絵の関係は急接近中ですね(笑)
二人のプリミティヴなイチャつき具合を見てると思わずニヤニヤしてしまいそうになります。(気持ち悪いですがw)
もうとっとと結婚しちゃいなよ、って感じですねw
まぁでも、犀川助教授のあのじらす感じがいいんですけどね。。
犀川がじらすことによって萌絵のお茶目度が上がり、もっと魅力的に見える気がしますw
僕も、西之園萌絵のような知的で魅力的な女の子に出会ってみたいですね。
まぁ、出会ったとしても、僕のような凡人は視界にすら入ってこないと思いますが。
せめて一度仏様のように拝んでみたいものです^^;
まぁ全体としては、不思議なお話。やっぱり僕には消化不可能です・・・。
ただ、それでも続編が読みたくなる・・・。
200ページ目ぐらいだと、「なんかマンネリ化してきたなぁ・・・」ってなるのに、最後の方で度肝を抜かされ、終わると虚しい気持ちになる。
で、その虚しさから逃れるために続編に手を出す・・・この繰り返しです。
まぁ、例によって次も読んでみたいと思います。
(次でS&Mシリーズも半分突破です。)