夢見る無精卵 | Hack or Fuck ?

Hack or Fuck ?

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photo credit: visualpanic via photopin cc

最初、自我は卵の殻のようである。

殻は柔らかく弱い生命を育むためにある。殻によって外部の環境から守られた生命は徐々に自己を形成していく。

そしてある時点で生命は殻を割り外部に出ていくことになる。

一般にわれわれはこの時点を「誕生」、あるいは「孵化」と呼んでいる。雛が孵った後、脱ぎ捨てられた殻はその役目を終える。

なぜか人だけはその殻を後生大事に抱え込む。それどころか殻こそ我なりと思い込み、それを破って外に出ることなどあり得ないと決め込み、なぜならばと厖大な言葉を費やし緻密な理論の構築を試みる。だがそれはすべて夢である。

殻を出ない卵は無精卵である。丸ごとボイルされるか唐突に割られ熱せられた鉄板上でぐちゃぐちゃに掻き回されて終わる。

自我に執着した人生は無精卵に似ている。殻の中で夢を見たまま生まれることなく終わる無精卵に似ている。

かつてクリシュナムルティは、「社会は腐った卵のようなものです」と言った。当時の世相について知る由もないが、多くの人々はそれを真理というより、宗教的アジテーションのひとつとして捉えたのではないだろうか。

そのクリシュナムルティがこの世を去って約30年の歳月が過ぎた今、その言葉はすでにアジテーションの域を越えている。異論の声は徐々にフェイドアウトしていくだろう。

今、社会のあちらこちらで腐臭が立ち込めつつある。あまりにもの腐臭で多くの人々が夢から醒め始めている。

あちらこちらで殻の割れる音がする。

あちらこちらで生命のさえずる声が聞こえ始めている。


聞こえてくるその声は夢より美しい。