
「『これは国家の独立の為だ、出動せよ』と言われた時に、いや行くと死ぬかも知れないし、行きたくないという人がいないという保証はどこにもない。だから国防軍になったらそれに従えと。それに従わなければその国にある最高刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら懲役300年。そんな目に逢うなら出動しようかと。人を信じないのか、と言われるけど、やっぱり人間性の本質から目を背けちゃいけない」
▲昨日、Twitter経由で唖然とする記事を見た。
懲役300年…。
300年と言えば、一つの血脈が完全に絶たれるのには充分過ぎる時間だ。
そんなに生きた人はこれまでいないだろうから要するに兵役拒否なら死刑にするのだということだろう。
石破幹事長は人間性の本質を直視した結果、上記の結論に達したらしい。
彼の目に映る「人間性」とは一体どのようなものなのだろうか。
そこに自分は含まれるのだろうか。
おれの疑問は自然とあのホーキンズ博士の「パワーかフォースか」に引き寄せられる。
その意識のマップに照らして見ると、石破幹事長の発言は大体、「レベル100」あたりに位置するようだ。
レベル100とはどのようなものか?
まず、神の視点としては「懲罰」…懲役300年等の発想。
次に人生の視点は「怯える」…(すべての国民が兵役に従うという)保証はどこにもない、という発想。
その感情は、「心配」
プロセスは、「引っ込み」とある。
そしてその意識レベル100は、「恐怖」という風になっている。
もちろんフォースの領域だ。
ここから勝手に推測すると、幹事長は幼少の頃は引っ込み思案で、それがコンプレックスであったが、プラモデルやミリタリーの世界に触れることである種の「救い」を見出したのかもしれないなどと思う。あるいはそうした知識を得ることで初めて他者に認められたという実感を人生のどこかで獲得したのかもしれない。
同時にそれは、心配症で引っ込み思案な性格を裏側から補完するものであった。
ゆえに、みんながプラモやミリタリーに関心がなければ、自分は「ただの人」になってしまうという恐怖は頭のどこかに絶えずうずくまっている。
みんなの注目を浴びるためにはみんなが軍事に関心を持つ必要がある。そういうことに見向きもしない人たちには懲罰を与える必要がある。
だって言うことを聞かない子には罰を与えないと。ボクもそうされてきた。
そうだ、懲役300年だ。
…というような発想が読み取れないこともない。
そしてこの発想には「他者」がない。
自分が多くの他者によって選出されたにも関わらず自由な「他者」がない。
あるのは懲罰によってコントロールできると考えられた、概念としての国民しかいない。
もうすぐ選挙だ。
選挙はわれわれが概念としてだけ存在しているのではないということを確認できる希少な機会である。
選ぶ者は同時に選ばれる者である。
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