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昨日読了した村上龍「55歳からのハローライフ」の帯にはこう書かれてある。
希望は、国ではなく、あなた自身の中で芽吹きを待っている。
というわけで、この本はそれまでの人生が揺らぎ始めた中高年の男女がそれぞれの「希望」の芽を見出そうとする小説集だ。
希望。確かにそれは大事なものだ。だが、同時にこの本を読んであなたが希望を得られることはないだろうとも思う。
そもそもおれは物語に出てくる人々のような価値観を持ったことがないからだろう。ホームレスになる不安を持ったこともないし、会社の力関係がそのまま自分に適用されると考えたこともない。こう書くと、何やら自信満々に聞こえるかも知れないが、そういうことではない。ただ単に「ない」だけだ。あるいはただ単に楽天的な性格だからなのかも知れない。
そして、彼らはなぜ不安になるのか少し不思議な気もする。おれは彼らよりずいぶんとハードルが低い生き方をしているのかも知れないと、そっちの方が不安になる。
しかし心配はない。おれはすぐに忘れる。忘れっぽいのはステキなことですと中島みゆきも歌っているから間違いない。👉「傾斜/中島みゆき」
悲しい記憶の数ばかり
飽和の量より増えたなら
忘れるよりほかないじゃありませんか
…懐かしい。ボンタンを履いてタバコを吹かして夜中にチャリンコで町を徘徊していた高校時代によく聴いたものだ。あの頃僕はバカだった。そして今も、これからも。
と、回想した内容があまりにも田舎のヤンキーそのままで些か気が滅入るような気もするが、「55歳からのハローライフ」に出てくる人々はおれより年上の年代だが、中島みゆきは聴かなかったのだろうか。
で、そうだ。本の話だった。どうやら脱線したようだ。でもおれは気にしない。おれは機関車トーマスみたくレールの上を走らないからだ。しかし、物語の彼らは違った。彼らは何らかのレールの上を走り続けてきた。レールはいつまでも続くのだと思っていた。しかし、そうではなかった。レールは唐突に途切れていた。
ここから先は自分の足で歩かなくてはならない。
つまりそういうことだ。レールがなくなれば列車を降りるしかない。いつまでも動かない列車に乗って喜ぶのは幼児だけだ。おれの息子もそういうのは5年前に卒業したはずだ。たぶん。
「55歳からのハローライフ」は動かなくなった列車を降りた中高年たちがそれぞれの足で歩こうとする話だ。個人的にはもっと早く気づけよと言いたい気もしないでもない。
しかし気づかないより気づいた方がずっとマシだ。何にせよ彼らは気づいた。気づかざるを得なかった。それはある時点では不幸なことだったのかも知れないが、それはそこに留まり続けるという上での不幸だ。
果たして、彼らは歩き出すことを選んだ。一個人として歩き始めた。
そして、彼らの中で希望が芽吹き始める。
言うまでもなく、それはあくまで彼らにとっての希望であり、あなたのそれではない。
希望とは個人にしか持ち得ないのだ。歩き出せ。生きるんだ。個人であれ。それがそのまま希望となるんだ。
おれには、村上龍氏がそう言っているのが聞こえるような気がする。
55歳からのハローライフ/幻冬舎
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寒水魚/ヤマハミュージックコミュニケーションズ
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