2冊目のホ・オポノポノの本を読了した。どちらもヒューレン博士の著作なので、内容はほとんど同じだ。
ただ徐々に理解しつつあるような気もしてきた。
理解と言うより体感と言った方が近いのかもしれない。
何かが浸透してくる感じはある。
そして、読めば読むほど、そのアプローチは仏教に近いと思う。あくまでも、おれの仏教に対する見方に近いということだが。
潜在意識の中の記憶とは、つまり煩悩のことだろう。
その煩悩をクリーニングすると考えれば、個人的には実に分かりやすい。
そして、ただひたすらに南無阿弥陀仏ならぬ、4つの言葉を唱えることで救われる。
と、こういうことでいいのだと思うが、どうだろう。
そうであるなら、なぜ日本の仏教はそのような力を失ったのだろうか。
…いや、力を失ったのは仏教ではなく、おそらく多くの日本人の仏教に対する感応力の方なのだろう。
葬式と結びつき過ぎたからだろうか。
…まあそんな分析は興味はないが。
いすれにせよ、ホ・オポノポノであろうと仏教であろうと、指し示す真理に変わりはない。
まあこれはこのあたりにしておこう。
おれは、仏教とホ・オポノポノはほとんど同じだと思ったということだ。
だから、ホ・オポノポノに対する興味がなくなったかと言うと、まったくそうではない。
そのうち我が家にも青いガラス瓶がやってくるだろう。
そしておれはブルーソーラーウォーターをゴクゴク飲むのだ。
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