ほぼ日手帳公式ガイドブック 2013 [ ほぼ日刊イトイ新聞編集部 ]
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この季節になると、書店や文具店で来年の手帳が店頭に並び始める。
来年はどの手帳にしようかと、文房具フェチのおれの心がざわざわと波立つ。
今使っているのは、マークスのエディットという1日1ページ仕様のやつだ。
それまで、3年ほどあのほぼ日手帳を使っていたのだが、たまには違うのにしようと変えてみた。
だが、今年も3ヶ月を残すばかりとなった現在白紙が目立つ。もちろん手帳のせいではない。
iPhoneのせいだ。
ちょっとしたメモから長めの文章まで、iPhoneならいつも手元にあるので思い立ったらすぐに入力できるし検索も楽にできる。
じゃあ手帳なんかいらないじゃないかということだが、そこはやはり文房具フェチとしてはそう簡単に割り切れないものがある。
あの使い切った後の手帳のへたれ具合はデジタルにはない不思議な引力がある。
モレスキンなんかまさにそれだ。
単なるノートのくせにけっこうな値段だが、それでも1冊使い終わる頃にはそろそろ次のやつを用意しておかないと、という気になってしまう。
もうひとつ、アナログの手帳の魅力はパラパラと読み返す時だ。
適当にページをめくると、過ぎた日々がゆっくりと、あるいは瞬時に甦ってくる。
その時の自分の青臭い考えを眺め、独り笑う。
また別のページでは、あらためて忘れかけていた大切なことを教えられもする。
日々の生活に追われて、多くのことを忘れていた自分に気づく。
ページをさらにめくるうちに色褪せたインク、乱れた文字、意味不明な記号が混じり合い、
かつて自分が確かに書いたはずなのに誰か見知らぬ人のノートを盗み見ているような錯覚に陥ることもある。
「私は他者である」
ランボーの言葉が胸を過る。
手帳に書くということは、備忘録のためだけではなく自分の中の他者と出会うためでもあるのかもしれない。
デジタルではあまりそんな気持ちにはなれない。
あるメモを検索して、それについてまったく覚えていなくてもそこに他者はいない。
「これはあなたが確かに書いたのです」
と、突きつけられる感じがする。もちろん自分が書いたのだから何の間違いでもない。
揺るぎない事実だ。
…そう、揺らぎ、だ。
アナログの手帳には揺らぎがある。
書かれなかった白いページがある。見知らぬ誰かの言葉がある。
不完全なライフログ…
欠落した記憶がおれをどこか別の場所に連れて行く。
そんな揺らぎに惹かれるのかもしれない。
…おれは来年もアナログの手帳を買うだろう。
そして書いたはずのあのメモはどのページだったのかと慌てふためき、
書いた記憶のない文章を見つけるだろう。
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