愛がいちばん | 河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

分かる人しか分からない落書きメモ。
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まもなく終戦の日を迎える。

日本では終戦日を8月15日としているけれど、

各国ではさまざまな政治的理由から

これが異なっていて、今でもバラバラだ。

このことを調べ出したら諸説あり、

日付だけでなく、平和を構築すべく土台の認識が

これほど異なることに絶望感すら覚える。

 

それはそれとして、今年は戦後80年であることに

違いはない。

今や戦争体験者の話を聞くことが困難な時代に

入っている。85歳以上でないと明確な記憶は

ないのだろうな。

ましてや戦争に行った人となると95歳を軽く

超えているだろう。

 

平和・文化・教育は 本部の誰かがしてるはず

 

会のあんたらはどうなんだ?

ワタシの周辺で、平和・文化・教育を具体的、

長期的に取り組んでいる会員なんか、

入会から数十年間、見たことないぞ。

本部はやってる感を出してても、

地域には継続的に殆ど展開されないのだから、

今も昔も本気でやるつもりはない。

 

そもそもこれらは会の専売特許ぢゃないし、

誰かに任せておけばいいってモンでもない。

一人ひとりが主体者となって、

みんなで作っていくものだ。

小さな綻びがやがて大きな破れとなって

争いに発展していく。

綻びを見つけては修復への行動を取るのが

一人ひとりの責任でなければならない。

 

戦争が一人では起こせないように、

平和だって一人では維持できない。

どちらに進むかは時代の空気感も大きい。

それに気がついて良い方向に流れを

変えられるのが賢い民衆の連帯だ。

即ちこれが政治の監視であり、

人間主義ってモンでしょうが、知らんけど。

 

だから会が平和を掲げるなら、

商売道具みたいなことではなく、

ホント真面目に取り組んで欲しい。

綻びを見つけては「破邪顕正だ」、「折伏だ」、

「~の戦いだ」とか言って傷口を広げたり、

平和に殆ど貢献しない特定政党の支援を

煽るような自己正当化の闘争行為は

危険思想だってことに気がつかなきゃ。

 

あんたらの正義と他の人々の正義は

同じぢゃないんよ。

何処の世界でも宗教や思想の理屈は

普遍的ではないんよ。

その先に本当に平和はあるんか?

そこに愛はあるんか?

愛がいちばん。

会にあるのは 権威、権力、金。

そこには哀しかないのかも。

 

「アンチ界の中心で愛を叫んでるつもりかよ。

そう言うお前こそ何か平和なこと

やってんのかよ?」

 

「これだけは言っておく。お前自身に

人に語れるような本当の実績があるのかよ。

話はそれからだ」

 

「カッコつけてんじゃね~よ、

非活のクセに」

 

「非活だからこそ出来る闘いもある。

バリ活ぢゃ忙しくて大切なことが

疎かになる。戦うなら他人とではなく

自分の中のエゴと闘うんだよ。

戦いと闘いは違うんだ」

 

♪ファイト!

闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう~