2023年のテーマは「青年・凱歌の年」だそうだ。
言い換えると、青年よ、勝利の歌を歌おう、ってことだ。
その心は、広布拡大の凱歌をもって飾ることらしい。
なんか響かないなぁ。
ぱっと見、歌うこと自体が目標かと思わせる。
勝ったら歌えるんだよ、みたいな。
高校野球は甲子園で校歌を歌うことの方が目標…なわけない。
ちょっと格好つけただけのテーマはやめた方がいい。
勝つのが前提になってるけど、毎年全敗だからこそテーマとして繰り返すんだよね。
違うと言うなら何勝何敗なのか。
併せて「本年の勝利なくして明年の勝利もない」なんて言っちゃってるが、いいのか?
二度と「勝利」って言えなくなるw
あ、分かった。
拡大の定義を曖昧にして、解釈で何かが部分的に拡大した体で歌は歌おう、そんな魂胆だな。
甲子園で負けても、応援席ではこじつけて校歌を歌う、みたいな。
でも拡大を具体的な数字で定義なんかしたら、本部職員は査定が怖くて生きた心地がしないだろうな。
かと言って達成可能なしょぼい数字では衰退が止まらない。
大きな収支改善が出来ない限り、毎年「職員・存続の年」なんだから大変だ。
毎年同じようなテーマ、スローガンが繰り返されるのは、PDCA/OODA等の側面から見てもマネジメントが全く機能してないってことだ。
目標を掲げたら経過を常に検証して、目標も含めて随時修正しないといけない。
仲のいいアク〇ンチュアだってそう言ってるはずだw
それに現場からは、全体として何が何処まで出来ているのかさっぱり見えない。
報告は常にさせられてもフィードバックが一切無い。
そりゃそうだ。
フィードバックなんかしたら意見が一杯出てしまう。
聞く気が一切ないんだから会員は百年安心してろ、ってことだ。で、フタを開けるとまた同じ目標かよと。
衰退の責任が何処にあって、誰が軽く見られているのか、少し大きな会合に出て冷静な目で見れば一目瞭然なんだけどね。
ワタシもバリ活の時には気がつかなかった。
打ち出しに乗っていれば平和・文化・教育が発展して素晴らしい世の中になると信じていた。
絶対正義を掲げる以上、そこに嘘はないと信じていた。
そして信じなければ何も得られないと信じていた。
宗教の教義や指導に紛れ込ませた嘘ほど分かりにくく厄介なものはない。
気づいた時には既に多くのものを失っている。
同じテーマが出るたびに、戦いに紛れ込ませた嘘も見抜いて怒らないといけない。
戦わないのは反逆者?
どっちがそれなのか、センセイの表向きの姿、しんいちくんに聞いてみるといい。
きっとこう言う。
「ここは戦場じゃない! 熱海だ」
あ、これはクレヨンしんちゃんだったw