早朝に日興の散歩をしていたら、先日亡くなられた奥さんのご主人を見かけた。
自治会を通じては何も連絡が来ないので、先ずはお悔やみを伝え、あの日の状況をお尋ねしてみた。
聞きなれない病名で、小腸穿孔による急なことだったそうだ。
実は前月から時々不調だったが、ご主人が病弱なので自分が入院するわけにはいかないと、受診を躊躇していたそうだ。
小腸穿孔は初期の発症から数十時間以内に手当てしないと死亡率が極端に上がるらしい。
当日はいつにも増して痛くなったので、ご主人が救急車を呼ぼうかと尋ねたが、必要ないとのことで様子を見ていたら間に合わなかったという。
経験のない異変を感じたら初期段階で診てもらうことがとても重要なのだ。
ワタシは尿路結石の経験が何度もあるので、かなりの激痛でもやり過ごすヘンな自信がある。
しかしこれは診かたを誤るとまずいことになりかねない。
前の居住地でも近所づきあいを避けていたという奥さんではあったが、彼女のことを何も知らないままに、その存在自体すらあやふやになってしまいかねないことが気の毒に思え、今更だが敢えて色々と聞いてみた。
ご冥福を祈るのに名前も知らないのは悲しすぎる。
意外な話を色々と聞かせて頂いたが、生前に知っていたなら楽しいお付き合いもあり得たなと思えた。
ワンコ、にゃんこ、草花が好きで、クルマはMTしか乗らないなど……本当は味のある人だったんだろうな。
同じ時代を同じ地域で暮らす人たちは皆、同じような戦地をかいくぐりながら一生懸命に生きている戦友みたいなものだ。
それぞれの環境や価値観はある程度違えども、大局的に見たら進む方向や目的に大きな違いはないように思える。
だったらほど良い互恵の精神で暮らして行けたなら、その意義は大きなものになる。
なので各種のコミュニティはお互いの気持ちを支え合う意味で重要だ。
ワタシが今でも自治会の役に当ると気合が入るのは、こうした思いもあるから。
元々は会の看板を背負う意識から義務的な積極性で取り組んだが、今はこれとは全く異なる。
とは言え、この構図は会とデジャヴる。
ただ、会には進む方向や目的に表裏あって、一番大切な本音の部分と具体的行動が社会には到底受け入れられないという実態がある。
指導が純粋ならば、衰退したとは言えこれだけの陣容があれば、世の中はもう少し幸福な場所になっていたはずだ。
命を削るのではなく、輝かせるような社会的インフラの構築を掲げる政治家はいないのか。
あの党には多くの人たちが随分と貸しを作ったはずだ。
さあ、これからはそれを返してもらおうぢゃないか。
しがらみはあれど、議員になった以上は自分の本当の心で天と対話して欲しい。
命と同様に、「正義」や「絶対」もまた、はかないものだから。