あの時は信じていたから | 河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

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宗教は、カルト と オカルト の アラカルト や~

なんて、デカルトが言ったら面白いw

 

ブログの管理者画面に「アクセス解析」というのがある。

その中に、アクセスデバイスの項目があり、ご覧頂いた端末がスマホなのかPCなのかがある程度分かる。

 

驚いたのは、スマホがおよそ80%も占める。

ブログをお持ちの方は、おそらくPCが多いのではなかろうか。

ワタシも家や職場では殆んどPCを使うので、スマホは出先での緊急用だ。

あの小さな画面で記事を書くなんて、お年頃的にも無理w

 

以前、仕事で情シス部門を管理してたこともあり、PCの方が圧倒的に馴染みはある。

ワタシらの世代が一番、PCを使えていたのではないかな。

上は全然ダメ、下に行くほどスマホは達人でも意外にPCはダメ。

主婦はそもそもPCを使う人がそれほど多くないみたい。

ウチの嫁さんもPCは全然ダメで、同じことを何度も聞かれたワタシは半分切れながら教えるので、スマホにシフトして子供に聞いているw

 

そんなこともあり、ワタシは統監や選挙ではPCを使いまくったが、今はどうなっているのだろう?

スマホでオンライン入力なのかな?

信仰とは全然関係ないところで、10年以上もの間、余計な苦労をして来たモンだ。

センセイは「統監部の日」「陰の労苦に無量無辺の功徳」とか言ってたが、な~んにもいいことはなかった。

末端をおだてて使うのはお得意だしね。

 

会の組織や組織活動は、信仰のツールやインフラであって目的ではない。

そこら辺をごっちゃにして功徳ゾンビを量産して動かすのだから、ホントに社会悪だと思う。

 

そう、今だから言えるんだよ。

あの時は信じていたから……いや、信じようとしていたのだから。

 

それを何だ。

急に思い出したから書いておこうw

 

たまに見かける一部のチョイ活は、

「嫌なことは断ればいい、自己責任だ、今更ごちゃごちゃ言うな、自分は全部分かっていた」

だと?

 

信心の劣等生が元優等生に言う言葉か?

バリ活はチョイ活を自分以上に発展途上と見ていたから、不満があっても決して自分から揶揄したりはしない。

それをいいことにマウントを取ったつもりなのか。

共感力、想像力が欠落してる。

 

組織は高低浅深正邪の頂点にあるとしている。

入会して信じる以上、指導・指示はいくら理不尽に思えても信仰上の意味があるとして、これらに従うことが正しい信者であり、そのように努力することが大前提だ。

なので疑いが芽生えてもバリ活は心の奥にしまう。

まだ自分は発展途上だから、いつか分かる時が来ると。

 

常識的にはどんなにおかしいと思っても、犯罪でもない限り、指導に従って自己を磨こうとする。

「疑ってはならない」というのが教義の根幹である以上、ここは絶対に曲げられない。

本気で疑うなら退会しかない。

これが信仰の世界というもの。

そもそも常識は度外視されている。

 

少しまともな元チョイ活なら、元バリ活には同情はしても揶揄したりはしない。

問題のあるチョイ活は、陰でチョイ活のフォローをするバリ活を横目で見ながら知らんぷりをして来たのだから、その神経は図太い。

 

お互いが覚醒すると、今までの指導されっぱなしの形勢が逆転したと思える反動なのか、「信心」という大前提を無かったことのように無視して結果論を垂れる。

自分の方が正しかったと。

まるで話が噛合っていない。

感性の何処かのネジが吹っ飛んでいるに違いない。

 

これは過去にワタシが目にした幾つかのサイトでのやりとりで感じたことだ。

いい気分はしなかったね。てゆーか、こんな解釈をする人が少なからずいるんだ、という現実に驚いた。

 

今、出来るだけ一般化して書いてはみたものの、ワタシの感性も重要なネジが幾つも欠落してることを思い出したので賛同は求めないw

 

そういえば、宗教と詐欺の境界線というものがある。

どんなに非常識で嘘くさい教義であっても、語る者が信じていれば宗教になる。

信じていないことを宗教として語ると詐欺になる。

本当に信じているのかどうかは他人には分からない。

ここら辺にもバリ活とチョイ活の温度差が出る。

 

宗教法人法は性善説で成り立っているという。

ここに宗教詐欺が横行する遠因がある。

しれっと教義を変えても解釈変更だと言いはる何処かの会は、上層が本当に信じていると言えるのだろうか。