バリ活時代は、知らない町の商業地域に行った時に三色旗を掲げたお店を見つけると、何だかホッとした。
お腹がすいている時には、そこが飲食店なら迷わず飛び込んだ。
店の人とは初めて会うはずなのに、一体何なんだろう、あの時の安心感は。
幻想の仲間意識なんだろうな。
非活の今なら極力避ける店w 可哀相な気もするけど、利益が直接的に財務にまわりそうで、何だか嫌な感じ。
バイクでツーリングに行くと、すれ違うバイクに対して「ピースサイン」等を交わし合うことがある。
現代ではこれを「ヤエ―」といい、バリエーションも色々ある。
昔は指のVサインだけだったが、今は親指を突き出したり、拳を何度も振り上げたり、手を振ったり、中にはステップから立ち上がる者もいて、そのスタイルに決まりはない。
自由な自己主張と共に相手への激励、安全注意喚起をしているつもり。
勿論、全員がやるわけではない。
そして明らかにツーリングと分かるシチュエーションが前提であり、街なかでやる人はまずいない。
ワタシは若い頃は自分からしていたが、最近はやられたらやり返す。微笑み返しだ。
ピース世代なのでヘンなことはしないが、ヘンなことをしたくて
ウズウズしてはいる。
本音ではアゴを突き出しアイーンの手をしたい。
流行らせたいのよw
対向車がパッシングしてスピードの取り締りを知らせてくれることがある。
車同士では最近、あまり見かけなくなったような気がするが、バイク同士は凄い。
バイクでは閑散とした一本道を走ることも多いので、取り締り現場よりかなり手前から、すれ違う何台ものバイクがアクション付きで教えてくれる。
ある日、その知らせを受けてしばらく走っていた時、標識が50km/h→40km/hに変わったポイントで減速したら、後ろの車がイラついたのかワタシを追い越した。
リッターバイクを追い越すとは、いい度胸をしているw
直後に前方で警察のチェッカーフラグが見えた。
可哀相なことをした。
三色旗だったら良かったのに。
こうしたバイク同士のコミュニケーションも、幻想の仲間意識なんだろうな。
仲間意識にも色々あり、集合論的に言えば、趣味などの共通の輪が真ん中にドーンとあって、それぞれの個人の輪が共通の輪に少し重なっているぐらいが、健全な状態のように思われる。
桜梅桃李が保たれている状況だ。
お互いに知り合いで個人の輪同士も少し重なっていることもあれば、先のバイクのように個人では全く重ならない幻想の仲間意識もあるだろう。
ところが地域における会の場合には様相が異なり、宗教という共通の大きな輪の中に個人の輪がすっぽりと入り込むことを目指している。
少しはみ出していると指導されるw
この仲間意識は強烈だ。異体同心とか言っているが、今思うと気持ち悪いことこの上ない。
人は本能的に、閉じられた世界の中では仲間意識が強まるものの
ようだ。
そしてその世界が狭いほど意識は強くなる。
会本部の本音としては、口では世界宗教と言いながら閉じたマイナーな世界だけで通じる価値観でMCするから、広く一般化して淘汰・健全化されては困るのだ。
選民意識で囲い込めば利益が最大化するのだろう。
これは何処かの国のように、街を走るバイクの方が車より圧倒的に数が多ければ、「ヤエ―」なんてするはずがないことを想像すればピンとくる。
あんまり数が増えると仲間意識が薄れるのよ。
アンチブログ界はどうなんだろう。
一見、同じカテゴリーでまとまっているかのようだけど、書き手のスタンスも読み手のスタンスもかなり幅広いはず。
共通の輪は過去の実体験だけだったりで、これが地域、役職、時代などでニュアンスが違ったりするから難しい。
個人の輪の重なる部分が多いほどシックリ来るだろうけど、ある日突然、見えなかったスタンスが見えたときに違和感が大きくなることもある。
でもそんなことはむしろ当たり前なので、それを傍がとやかくいうのも少し違うと思う。
皆違って当然なので、常識的な範囲でそれぞれを尊重したいものだ。
また、共感することはあっても、直ちに仲間というのも違う。
距離感もコミュニケーションと思う。
幻想の仲間意識だけに頼るのは安易すぎる。
ついでに、ワタシの場合も使命感で書いているわけではない。
迷っておられる方が立ち止まるための一助になれば幸いと思い
気楽に書いている。
こんな駄文でもチャンネルはひとつでも多い方がいいと思って。
一人ひとりが立ち止まってみるだけでいい。
たったそれだけで、傍から色々言われても全体として、社会として良い方向に流れが変わる可能性があると信じているから。
なんか最後、真面目っぽくてスタンスに違和感が?
安心してください。
アイーンしながら投稿しましたからw