幹部指導と不幸の手紙 | 河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

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なんか寒くないですか?

バカ盆のパパならこう言いそう。

 

「今日は夏なのに寒いからもう冬が来たのだ。

盆と正月が一緒に来たからウレシイのだ」

 

このコロナ禍が治まらないことには誰も嬉しくないと思うけど、しっかし与党は何やってんのか。

 

初っ端は過剰に規制して「時間稼ぎだ」とか言いながら、結局その時間で必要なことはやらずに余計なことをやってる感しかしない。

医療崩壊が懸念されるなら、さっさと野戦病院を建てるなり、民間開業医の対応力強化をするなり、やるべきことは色々あったと思うが。

治験が未完了でデータも揃っていないワクチン一辺倒って、リスク高すぎないか?

 

大体、まん防が緊急事態に移行するのはどういうことよ。

まんえん防止に失敗したってことだよね。

同じ失敗を繰り返さずに少しは違うことやれよ。

緊急事態というなら、もうロックダウン?だよね、言葉的には。

協力しない国民が悪い、って奴らは思ってるっぽい。

どうなのよ、混迷党。

 

あ、ちょっとスッキリした。

 

 

昔、「不幸の手紙」というものがあった。

ワタシも何度か貰ったことがある。

現代ではチェーンメールというやつがそっくりだ。

 

以前、お付き合いのあるSI事業者の担当から

「こんなウイルスが急速に広まっています。社内に注意喚起して

ください」

とのメールが来たことがある。

専門家の助言だからとあまり深く考えずに社内に一斉転送したら、後でチェーンメールと分かり、情シスの責任者として酷く恥ずかしい思いをしたことがある。

実害はなかったが、その担当を後でイジったw

 

会の指導は、既視感のある同じような内容で繰り返し各地で散発的に発せられるので、覚醒したワタシから見れば「不幸の手紙」みたいなもんだと思う。

「こんなことになったけど、一生懸命あーしたらこーなった。

信心ってすごいね。皆に伝えて」

って広まる。

 

センセイのぼんやりとした指導を、個別具体的に自己解釈した幹部が、不幸の当事者である会員に直接関係あるとは思えない対応法を無責任に押し付けて自己満足する世界。

 

ことの本質から目を逸らせて、やれ新聞だ、選挙だ、財務だ、折伏だ、題目だ…… そうすれば解決する、と遠回りさせる。

 

その幹部とやらに、人様の人生を左右できるような資格も能力も権限もないのに指導させるなんて、そしてそんな指導を真に受けて実践するなんて、皆どうかしている。

被害規模から考えると「不幸の手紙」より悪質ではないのか?

 

命や財産にかかわることでも、他人事でさらっと指図する。

解決は貴方のご本尊への姿勢で決まるのだ、自分は応援の題目ぐらいしかあげられないけれど……みたいなノリで。

つまり責任は自分にはない、って言ってる。

 

中にはそんな指導でも見かけ上は功奏するケースもあるのかも知れない。でもそれは激レア。頻繁にあるなら「体験発表」のネタに皆が困ることはない。

現実は一部の人が繰り返し語る何十年も前の聞き飽きた功徳話ばかり、という点に顕著に表れている。

 

こうして人の不幸を利用して活動の原動力にする仕組みが、何十年も維持され、伝承されてきた。

 

活動により「体験」という勘違いを相互に刷り込み合ったり、自分もあやかりたいという心理が活性化されるのだろう。

 

もうそんな非科学的な時代ではない。

仏法を求めるなら、会の発する情報だけでなく、学術的なものにも同じだけ触れることが肝要と思う。

 

皆に仏性があると信ずるならば、偶然迷い込んだアンチブログを

覗いてみることも、見えない力の導きかもしれないw

 

アンチブログの文言は、できることなら「幸福の手紙」でありたい。

 

赤面しながらどの口が言うのかw