河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

河童の川流れ 「いい夢見ろよ~ あばよ!」

分かる人しか分からない落書きメモ。
川に流されながら頭を整理中。

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急に思い出した。

この話が通じる世代は限られるかも知れないw

 

ワタシが小学生の頃、チェーリングという玩具が

流行った。

直径15mm位のプラスチックの輪っかで、

いろいろな色がありチェーンのように繋ぐことが

できた。

元々は「チェーンリング」だったのだろうが、

皆の間では「チェーリング」だった。

男子の間ではこれを何個かひと組に固めて

相手と対戦し、勝つと相手のひと固まりを

もらえる遊びをした。

ルールは忘れたけど、ボウリングのように

転がしてぶつければ勝ちだったような。

何故か黒色がレアで、皆の目の色が変わった。

女子はお手玉のようにして遊んでいた。

 

小学校では休み時間の廊下や放課後の校庭で

これが爆発的に流行り、奪い合い要素がある

ためか、しばらくしたら全面禁止になった。

なので帰ってから集まってやってたw

 

チェーリングで戦うのも面白かったけど、

色を組み合わせるのも楽しかった。

白と黒、黒と赤、黒と黄、赤と白、緑とオレンジ

など、カッコよく目立つカラーコーディネートを

意識した。

結果的に知らず知らずのうちに補色や反対色を

学んでいたのかな。

色彩感覚を養うには最高のツールだったと思う。

図工の先生は禁止に反対しなかったのだろうかw

今でも売っているようなので欲しい気もするけど、

何処を見ても黒がないぢゃないか。

 

ここで気がつくのは、自分たちの元々持っている

感性って、結構あてになるというか

正しいというか、美しいことが多いってこと。

 

カッコイイ色の組み合わせを理屈で説明すると

色相環とか彩度、明度がどたらこたらとか

あるけど、何だか後付けっぽくなくもない。

多くの人が同じように感じるのだから、

皆が元々持っている生命の特性なのだろう。

たまに違う人もいるけど、目の中の錐体の

感度分布が異なるのだろうか、知らんけど。

 

 

会の活動では色々な打ち出しが押し付け

られてきた。

新聞・選挙・財務は、広宣流布のうえでは

最後に三つどもえとなることが美しいと

されていた。

でもそれは会の理屈であって、入会直後の

自分の感性に問えば、何れも薄汚くダサイと

感じていた。

そして今なら自分は正しかったと言える。

 

生命が生み出す自然な感性、即ち心の声ではなく

理屈や都合をすべて排除した生命の声を自分の

「心の師」として据え、信じることも、

ひとつの答えなんぢゃないかな。

 

声が聞ければ押しかけ師匠はいらない。