大寒を迎え、
久しぶりに足下からグッと底冷えする
厳しい真冬の稽古となりました。
全体の稽古を締めたあとも、
20歳代の青年2人はその場から帰ることなく、
軸や重心の移動など互いに協力して
自分たちのさまざまな課題に取り組んでいました。
姿勢ひとつ、思考をしてみても、
起立や正座を正すことは難しくありませんが、
身体運動や動作を伴うなかで、
軸をぶらすことなく重心を最適に移動させることは、
そう容易なことではありません。
点の動きを真似できたとしても、
それらが連なり一体的な流れとなったときに、
培ってきているものの差、力量の違いは
歴然としたものとして表れます。
力のある人に対して、
この人は何かが違う、という、
一見、理屈がないようにも思う漠然とした感覚には、
実は、理論的に明確な差が生じています。
そして、その差は、その者のまとっている空気、
包んでいる周囲の空間の動きとして表れます。
航空機の翼がその飛行中に生み出している
モノの浮力の仕組みを実験や分析映像で
見たことがある方は多いでしょう。
空気抵抗や対流で生じる空気の小さな渦などを
視覚化させたものです。
これらは、理論に基づく結果として、
目に見える形で映像化されたものであり、
身体運動においてもこれと同様のことが起こっています。
ましてや、自分自身においては
己で知覚している内的な運動の結果が
そのまま外的な動きとして表れる。
ゆえに、長年の修養は、
まとっている空気、包んでいる空間をイメージし、
すべてを包含して感じとることができるのです。
空気の動きや変化、わずかな揺れまで
澄み切った真冬の冷気のなかでこそ
全体として体感することができる、
つまり、心身両面から捉えることができるのです。
これらを感性で味わうこと、
ここに剛柔流空手道の真髄があり、
面白さがある。
もやは、私の中にあると言っても
過言ではありません。
恩師からは、次のようによく言われたものです。
「理に適っているかどうかを考えろ」
漫然と真似をするだけではなく、
考えること、試行錯誤を続けてきたことが、
いまの自分につながっています。
また、生きること、考えることについて、
ある大学教授に次のような言葉があります。
「思ったとおりの場所には至らないかもしれないが、
確かなところに進んでいくことができるのです」
これらのことを、稽古をあがる際に、
青年2人に伝えました。
時代も社会も厳しい状況に変わりはありませんが、
日々の修養から心身ともに確かなものを培い、
着実に前進していってほしいと、心から願っています。
追記
私が剛柔流空手道を科学的、理論的に考え、
体感としても徐々につかみ始めたのは、
キャリアも20年を少し超えたあたりから。
それまでは身体で覚える方が圧倒的に多かった。
道場はもちろん、深夜のファミレスや駐車場などでも
仲間と一緒にあーでもないこーでもないと、
試したり議論を交わしたり。
それも、また楽しい時間でした。
この1月から新しく仲間となった小学生2人、
冷たい板の間と真冬の稽古をどのように感じたのか。
時代は異なりますが、
ひとつひとつの稽古が必ず力となっていく、
その手応えを皆で共有していきたいと思います。