指導法のアドバイスを求められる際に

 

技術的なことと併せて、

 

次のような言葉を伝えることがあります。

 

「あなたは、いま、この場をどうしたいのか、

 

そして何を伝えたいのか」



指導者が向き合うみなの感情には

 

大小があり、波もあり、

 

つねに一定、

 

一本の調子ということはありません。


ゆえに、みなのその心の動きを

 

グッと引き上げることも

 

一気に鎮めることも、

 

膨らませることも

 

研ぎ澄ませることも、自在。

 

自分のもっていき方次第で、

 

その場全体の空気、雰囲気は、


いかようにも変化させることが

 

できると言えます。

 

誤解を恐れずに言えば、


その力量を持つ存在こそが指導者です。

 


稽古とは、

 

古(いにしえ)を尊び、

 

いまを考えるということ。 

 

技の表面的なものを教えることだけならば、

 

テレビモニターで教材のような映像を

 

流せば事足りますが、

 

それでは稽古の本質を

 

伝えきることはできません。

 

 

ものごとを説明するのではなく、

 

指導者が伝えるという感覚を持つこと。

 

これにより、

 

指導は技術の伝承にとどまらず、

 

すべてにさまざまな意味や意義を生み出す、

 

見い出すものとなるのです。

 

 

当たり前の日常などはないということに

 

否応なく気づかされている昨今であるがゆえ、

 

いまを、より確かな時として

 

過ごしてゆくことができるはず。

 

たゆまぬ取り組みは、

 

成ったことはもちろん、

 

失敗も含めてすべてを糧とし、

 

着実に真の力として蓄えられていきます。


これからも、

 

ともに頑張っていきましょう。