残身(ざんしん)をとること ―――

 

これは、先日、空手道の特徴について

 

外国人から尋ねられた際に伝えた言葉である。

 

武道に限らず、茶道や華道、

 

伝統工芸などの世界でも

 

教えとして受け継がれているもの、

 

残身(残心、残芯)は、

 

緩急や強弱、濃淡、流れ、

 

タメなどを生み出し、

 

キレや美しさ、深み、余韻、

 

佇まい、備えなど

 

あらゆるものに幅を持たせる。

 

これを自在なものとすることは、

 

さまざまな分野で絶対的な差となって表れ、

 

他を圧倒する。

 

 

何かが、どこかが違う、

 

というような漠然とした感覚には、

 

実は、明確な差異が内在しているもの。

 

残身の要諦は、もとに返ること。

 

基、元、本、下、源、幹、素 … 

 

いずれも音読みで “もと” と読む。

 

空間の大小にかかわらず、

 

これらを感覚的につかむまで

 

徹底するのである。

 

 

空手道の大きな特徴のひとつである呼吸。

 

この呼吸法と残身を合わせることで、

 

理想形がみえてくる。

 

しなるような張りも、

 

高揚するようなたのしさも、

 

間違いなくここにある。

 

その成長途上にあることも、

 

またたのしいものである。

 

 

閑話休題

 

人生にはお金で買えないものが

 

たくさんあることを

 

みな知っていくものでしょう。

 

世の中には学びから得られるものがあり、

 

同時に絶対に失わないものとなる。

 

空手道との出会いを

 

「100万ドルの宝石にまさる」と

 

話してくれた海外のある師範の笑顔は

 

いまもよく覚えています。

 

 

恩師との出会いがなければ、

 

いまの自分はありません。

 

稽古場であればどこでもよかった

 

というわけではないことが、

 

いまではよく理解することができます。

 

誰もが、社会で数多くの縁に恵まれて

 

いまがある。

 

当会は、これからもそのような場で

 

あり続けていきたいと

 

改めて思っています。