昨日は、剛柔流の息吹など、

 

特に呼気に集中した稽古を行いました。

 

新型コロナウィルスの感染拡大を防止するため、

 

公共施設の休館や市内小中学校の一斉休校など、

 

国や自治体のさまざまな対策が始まっています。

 

私たちも、心身の健康管理には

 

十分に留意していかなければなりません。

 

 

このような状況のなかで、

 

真の強さとは何であるのか、

 

改めて考えます。

 

 

ストレッチや柔軟体操をはじめ、

 

ハードトレーニングによる筋力強化、

 

有酸素運動による持久力の向上、

 

厳しい修練によって培われる

 

手技や体のキレなど身体能力の向上。

 

これらの取り組みにより、

 

自身に備わってくるものは

 

たくさんあるでしょう。

 

 

とはいえ、

 

これらが人生を力強く生き抜くための

 

もっとも重要なカギになるということでは

 

ありません。

 

より大切なことは、

 

一日一日の生活のリズムをつくること、

 

外部の環境変化に際しても

 

そのリズムを崩さず、規則正しい、

 

自分なりの生活習慣を持つこと。

 

 

重要なことは、基本的な日々の

 

生活のなかにこそあるのだと思います。

 

作家の五木寛之氏が

 

自身の講演などでも話しているとおり、

 

第二次大戦後の強制収容所から生還した方々の

 

多くは、屈強な肉体を持った人というよりは、

 

極限状態の中でも、可能な限り

 

自分の生活習慣を保ち続けることができた人、

 

と言われます。

 

 

生きることは、人々の持つ根源的な欲求で

 

あるとともに目標でもある。

 

これを成すための道場での稽古であり、

 

そこに呼吸法の修練や身体の鍛錬、精神力の

 

修養などがあるのです。

 

そして、その本質は

 

これら心身の向上というもの以上に、

 

愚直な取り組みの継続によって

 

自分というものを

 

形づくっていくことにあります。

 

 

稽古を始めて1年、2年、3年という

 

時間には大きな意味があり、

 

5年、10年となればさらに大きい、

 

それ以上ともなれば、

 

さまざまな面がよい方向に習慣化され、

 

確かな自分というものが構築されていく。

 

 

「習慣が変われば、人生が変わる」とは

 

よく言われることです。

 

自分というものを手応えとして

 

得られることはとても強い。

 

その強さとはなにか。

 

いまだ明快な答えは得られませんが、

 

諸行無常――  

 

不変ということは絶対にない

 

この世の中で、

 

現在の取り組みは

 

必ずや自らがよい変化を

 

起こしていくことにつながるものと

 

確信しています。

 

 

年度末を迎えて気を引き締めつつ、

 

気持ちも新たに、

 

新年度への期待感は大きい。

 

これからのみなの

 

いっそうの成長が楽しみです。