剛柔流は接近戦である。

 

剛柔流、かつて、沖縄においては

 

那覇手と称され、諸説あるなか、

 

一説には大海原を駆ける船上での

 

格闘術から発展してきたとも言われる。

 

三戦(サンチン)立ち、猫足立ち、

 

パワフルな円運動など、

 

これらすべてはそのゆえんであろう。

 

 

剛柔流の攻防の緊張感は、

 

類例の提示に迷うほどの激しさ、

 

厳しさを持つ。

 

近距離で正中線を保持しつつ、

 

己の距離、間合いをつくりだし、

 

自ら詰める。

 

決して後には引かない。

 

 

もちろん、首里手と称され、

 

主に直線的な動きを得意とする松濤館流なども

 

素晴らしい緊張感を持つ。

 

俊敏なステップワークから繰り出される

 

連続技は、並大抵の努力で身につけられる

 

ものではない。上下動のぶれを

 

最小限に抑えた高速の踏み込みは、

 

視覚的にも他者を圧倒する。

 

 

各流派それぞれに特性があり、

 

優劣を争うものではないが、

 

呼吸法(息吹)と身体運動が

 

一体となった武道 ―――

 

ここにこそ、伝統空手、

 

剛柔流の本質があり、

 

インドのヨガ、中国拳法や太極拳を長年、

 

修養した熟練の者には、

 

大陸から伝わり、数百年の時を経て

 

独自の進化を遂げた

 

日本の空手道のなかでも、

 

特に、この剛柔流にその流れを汲むものを

 

感じとることが多いと聞く。

 

 

私たちは、その系譜のなかで

 

稽古を続けていることに、

 

少なからず、自負を持っている。

 

 

言い古された表現だが、

 

自らの心と記して息となる。

 

息を整える。

 

無意識に行っている普段の呼吸も大事ではあるが、

 

それとは異なる剛柔流の稽古においては、

 

呼気を徹底的に意識化して行う息吹、

 

これを突き詰めていく修練こそが、

 

基本であり、すべての起点となる。

 

 

稽古を、必ずや、

 

みなの着実な成長につなげていく。

 

道場という、人が歴史を重ねてきた

 

伝統の空間に身を置いてこそ、

 

培われるものがあると確信している。