道場では、上級者向けの稽古において、

 

毎週1,000本を超える鍛錬を続けています。

 

型や組手は本数から除外することとしても、

 

手技200本、足技300本、

 

移動稽古、手合わせなどを含めて、

 

1回の稽古で計1,000本を軽く上回ります。

 

多くの者が大きな息をしつつ、

 

汗だくになりますが、

 

全員が遅れることなくついてきます。

 


なかでも、足技は、

 

屈伸を50回~100回行ったうえで、

 

さらに前蹴りや足刀蹴りなどを

 

200本以上行うため、

 

相当にきついと思いますが、

 

途中で弱音を吐く者は一人もいません。

 

 

長年、稽古をしていても時々思います。

 

稽古って何なのだろう。

 

何のためにしているのだろう、と。

 

道場での稽古は、必ずや、

 

一人ひとり、

 

それぞれの心身の成長につながり、

 

何物にも代えられない

 

確かな力となっていくはずです。

 

この思いは確信になりつつあるのですが、

 

それだけでもないと思うのです。

 


稽古の意味や道理を科学的、

 

理論的に説明できることはたくさんありますが、

 

稽古している者達の集中力、

 

精神力がぐっと高まって、

 

道場全体の空気感が数段上がっていくのを

 

肌で感じる時、こう思うのです。

 

理屈ではないものがある ―――。

 

 

人が顔を合わせ、

 

その気持ちや想いが、

 

表情や声、息遣いを通して、

 

互いに伝わってくる。

 

そこからも何かしら得られるもの、

 

感じられるものがあるように思うのです。

 

 

思い返せば、

 

私も理屈じゃないさまざまな想いや縁、

 

人との出会いに支えられて、

 

生きているように感じます。

 

さまざまなことが科学され、

 

理論的に解説されることが

 

好ましいとされる現代社会ですが、

 

人間にはそうでないこともたくさんある、

 

という根源的な部分のようなものにかえって、

 

日々を過ごしていくことも

 

大切なのではないかと思うのです。

 

先週は、ある程度の手応えとともに、

 

ふと、そんなことを感じさせてくれる

 

稽古となりました。